瞑想指圧・オーストラリア編その3 ― 先生からの手紙 

イタリアから手紙が届きました。
それは5月にオーストラリアで瞑想指圧のワークショップを指導していただいたイタリア在住の沖ヨガの大先輩ヤヒロ先生からでした。

海外からのハガキや手紙って、心躍りますよね。
知らない国や行ったことのない土地からの便りは、ワクワクさせてくれます。
だからいつも連れ合いが海外ロケに行った時は、お土産はなくともそこの国の絵ハガキだけは送ってねとおねだりするのです。

スエーデンから投函されなかった絵ハガキ( 彫刻その祭壇画で知られるユッカスヤルビ教会)

スエーデンから投函されなかった絵ハガキ( 彫刻その祭壇画で知られるユッカスヤルビ教会)


絵ハガキ以外お土産は・・・アリマセン。(^_^;)

その手紙は、封筒の1/3程を埋め尽くす大きくて綺麗な切手が貼られていました。
イタリアとバチカン市の共通切手みたい。豪華!!!
先生からの手紙は、薄く日本の花の絵が書かれている和紙の便箋で、少し右上がりの力強い文字が万年筆で書かれています。
おお~イタリアからいかにも日本風なおたより。
嬉しいですね。
メールではなく、自筆で便りを書くという習慣を、私も忘れないようにしたいと思います。

書かれていた内容は、だいぶ前に私が本と手紙を送ったお礼と今年出版予定の著書のことでした。
そういえばこの夏、イタリアも日本と同じように、ゲリラ豪雨と寒冷夏でアドリア海のビーチも閑散としていたとか。
先生も結局、プールで泳ぐチャンスがなかったようです。

それにしても驚くのがイタリアの郵便事情。
本を送ったのは、6月か7月上旬のはずが、イタリアで先生がそれを受け取ったのが、ナント9月16日!?!
ま、確か船便で送ったから、時間がかかるとは予想していたもの、いくらなんでも2ヶ月半はかかりすぎでしょ。
通常ヨーロッパまで1ヶ月プラス現地への到着まで1週間から2週間とみて、それに「イタリア時間」を足すと・・・やっぱ2ヶ月か。

先生の手紙の日付は9月17日。
私がそれを受け取ったのは10月初め。
エアメールだとイタリア~日本は3日、各国内での配送日数がかかるとしても2週間はたっぷりかかっているのにびっくり。
さらに封筒をじーっと目に力を入れて消印を見ると9月14日と押してある。
ぎゃ~これはなんなんだ!
イタリアの郵便局が受け取った後に、先生が手紙を書いたのか・・・。
そんな馬鹿な! 
「さすがイタリア!」と妙な感動と驚愕を覚えるが、でもやっぱり謎である。

夏の間、忙しくてなかなかブルグが書けませんでしたが、少し時間の余裕が出てきたので、次回はこのヤヒロ先生関連のことについて、少し書きたいと思っています。
お楽しみに。
To be continued!

瞑想指圧inオーストラリア その2ー学びの場がヌーディストビーチに!

リゾートアイランドのノースストラドブロード島で、いよいよオーストラリア指圧協会主催の「瞑想指圧会議」がスタートです。

第1日目は午後から受付とオープニングナイトパーティがありました。

オーストラリアのスタッフと八尋先生イタリアスタッフ

オーストラリアのスタッフと八尋先生イタリアスタッフ

小学校の子供たちが民族音楽を歌ってくれ、可愛かったけど、暗くてよくわからなかったのが惜しい。

小学校の子供たち

小学校の子供たち

オープニング・パーティと言っても、アルコールは無し!
その後のランチや夕食もベジタリアン対応で、私には嬉しい。
アルコールがない以外はネ。(^_^;)

毎朝7:00にビーチヨガで一日が始まります。
ヨガ指導を担当してくれるのは、この地でビーチヨガをやっているリンダ。

リンダ

リンダ

リンダは八尋先生にヨガと瞑想指圧を学び、オーストラリアで指導をしています。
沖ヨガが基となった内容で、基本ポーズだけでなく、型にはまらない自由なアサナや動き、いわゆる沖ヨガ特有の強化法もあって、私が30年以上も前に、下田や下北沢の沖ヨガ道場で学んだことを思い出し、懐かしかったです。
彼女は目を閉じながら、波の音に負けないよう、大きな声でアサナをずう~っと説明してくれます。
だから彼女の声はとってもハスキー。

海の彼方から上がる朝陽のエネルギーを浴びながら行うヨガは大変気持ちのいいものです。
DSC_2079朝日縦

ある日、いかにも体やお肌に良さそうなハーブとオイルと混ぜたものをスタッフが用意してくれました。
それをみんなできゃあ、きゃあ言いながら体中に塗りたくり、テンション上がりまくり。

体中にハーブオイルをペタペタ

体中にハーブオイルをペタペタ

ふと周りを見ると、水着を脱いでからだにそれをペタペタ。
わお! スッポンポンじゃありませんか。
おおー!!! ヽ〔゚Д゚〕丿スゴイ。
一転ここはヌーディスト・ビーチに。
私はここぞとばかり、カメラマン魂に火がつき?!?シャッターをバシバシ押しまくっていたら、あっけなくスージーに「写真はダメ!」
そりゃそうだよね。
残念ながらその写真はありません。(^_^;)

前にゴールドコーストで泳いだ時も、スッポンポンの人が多く、水着を着ているこちらは恥ずかしいほどで、目のやり場に困ったものですが、オーストラリアの人たちはとてもおおらかで開放的です。

ヨガでは自己を開放するということも一つの目的ではありますが、こればっかりは銭湯や温泉以外じゃ、なかなかできるものではありません。

体にハーブオイルを塗って、砂浜に横たわり、そのままゴロゴロと波打ち際まで転がっていき、海へザブ~ン。
DSC_2163砂浜ごろごろ
毎朝、1時間のヨガをやったあとに、そのまま海で泳ぎました。

波に揺られながらプカプカ浮かんで空を見上げると、空は果てしなく高く青く、白い雲がたなびき、勉強に来たのに、こんなバカンスモードで申し訳ないくらいだなぁと思いつつ、毎日朝と午後に大好きな海を満喫しました。
むふふ

前世は「魚」っだった?!ワタシ

前世は「魚」っだった?!ワタシ

毎朝、身を清めてから朝食をとって、さぁ瞑想指圧のお勉強、お勉強!

さらに続きます。お楽しみに。
To be continued!

瞑想指圧を学びにオーストラリアへ その1

久しぶりのブログ更新です。

昨年のインドから、今度はオーストラリアに行きました。

イタリアの沖ヨガメンバーが、東北支援で来日したのが昨年の5月。
その時、被災者の人々に「瞑想指圧」で皆さんを癒やし、支援したのであります。
その瞑想指圧を考案したのが、イタリア在住の沖ヨガの大先輩である八尋先生です。

八尋先生には、2011年のジャイプールでのホリスティック・インターナショナル・シンポジウムで、初めてお目にかかり、ご挨拶をさせてもらいましたが、何だか近寄り難い、怖そーな方でした。
DSC_2009八広先生

東北支援で一緒にイタリアメンバーを受け入れるスタッフとして、一番の功労者であるチエちゃんから、「八尋先生のところへ行かない?」というお誘いが来ました。
私は「瞑想指圧」なるものを学ばべるものならと、「うん」と言ったは良いけれど、問題は資金である。
「チョー貧乏旅行でいけるなら行く」と返事をしました。
最初、イタリアへ行く予定が、5月に八尋先生がオーストラリアに行くらしいという情報が入り、「イタリアよりオーストラリアの方が近いべさ」ということで、5月26日~6月4日のスケジュールで、行ってきましたオーストラリア!

私にとっては3度目のオーストラリア。
1回目はグレートバリアリーフでのダイビング。
2回目はブリスベンに友人がいたので、そこを根拠に砂の島のフレーザー島にやゴールドコーストを車でいろいろ訪ねたり、楽しい思い出がいっぱい。

オーストラリアへ向けての準備はまずエアー探し。
なんとかエアー安いチケットを探し、往路は「中国南方航空」成田~広州経由、ブリスベン。
帰路は噂の「jetster」ブリスベン~メルボルン経由、成田です。
帰路は5時間以上のトランジットがあるが、ま、しょーがないね。安いんだもん。

中国南方航空は、netの噂ほどではなく、ま、普通かな?!?
成田発ということもあり、食事は普通の味でしたが、量が少なかった(^_^;)
ワインも普通に出て、「white&redwine please」と私の希望にもちゃんと答えてくれ、まずはOK!
ただし、前の座席に付いていた液晶画面は、どの席をみてもほぼ壊れていて映画もなにも見られませんでした。
近くの席のオーストラリア人と思われるおじさんも、前の席が揺れるほどに、指でぐぐっと、画面のボタンを押していたけど、とうとう彼も諦めたね。

帰路のJetsterは、はてさていかなるものかいな?
乞うご期待!

飛行機の中から朝日を眺めながらブリスベン空港に到着。

以前来た時と、なんか雰囲気が違うな・・・。
飛行機が中国エアーというのも手伝ってか、やたら中国人が増えたような気がする。
そういえば以前友人がいたお宅も、中国人の家を借りていたというから、昔から多かったのかも知れないけど、さらに増えたという感が否めない。

ブリスベンからクリーブランドまで車で移動し、そこからフェリーに乗って25分。

このフェリーに乗って25分くらい

このフェリーに乗って25分くらい

私たちが目指すノースストラドブローグ島は、砂でできたフレーザー島の次、2番目に大きい島です。
秋とは言え、気持ちよく晴れ上がり、空が高く雲がとても綺麗。

空高くまさしく秋!

空高くまさしく秋!

以前は1月に来たのですが、その時も日差しは強いものの、湿気はなく、風が心地よく、ハワイと同じくらい気持ちのいいところです。

宿舎となったコンドミニアム

宿舎となったコンドミニアム

さすが南半球は、植物生態が違う! タワシみたい。

さすが南半球は、植物生態が違う! タワシみたい。

島に到着して私たちがお世話になる宿は、コンドミニアムで1階は大きなキッチン兼リビングと2階には2段ベットが二つ、棟を離れて1階に一部屋とその2階にも部屋があり、その他にマットがあるため、1件のコンドミニアムで、泊まれるのは最大10人くらいはいけそう。

その部屋は、スッタッフルームでもありました。
今回の国際指圧会議のメインスタッフのスージー(オーストラリア指圧協会の会長)は、海が大好きな明るくてキビキビと活発な女性です。

スーザンとリリアンは二人とも泳ぐのが大好き!

スーザンとリリアンは二人とも泳ぐのが大好き!

スーザンは物静かではあるものの、縁の下の力持ちといった頼みになる女性。彼女も海が大好き。

スーザンとちえちゃんと

スーザンとちえちゃんと

この島を会議の会場にしたのはリンダで、ここでビーチヨガをやっている彼女は、大柄でとても華やかな人です。

日本の作務衣を着たリンダ

日本の作務衣を着たリンダ


他には、ビビアン。白いサラサラの髪が印象的な、ちょっと近寄りがたい雰囲気で、腕を肩から三角巾で吊っていました。
メグはおとぎ話から出てきたような不思議な雰囲気の女性。
帽子には、鳥の羽やら、拾ったいろんなものがついていて、本人に負けず劣らず個性的。
Megとチエちゃんと

Megとチエちゃんと

もうひとりはヒラリー。
彼女はきれい好きな人でしたが、お姑さんが異常なくらい綺麗好きで、ご主人もチョー綺麗好きで、いわゆる潔癖症の家に嫁いだから、どうやらそれがストレスに?!?
ちょっと固い、生真面目な印象。
この人とビビアンが、会議の最初と帰りとで「違った」のですよ。(^_^;)

他にもいろんな人が出たり入ったりで、賑やかで楽しい会議になりそう。

この続きをまたお楽しみに。
To be continued!

インド瞑想の旅 その11 -最終章 聖地ラドヌーン

昨年10月に訪れた国際瞑想キャンプから、もう4ヶ月半が経とうとしています。
あと1ヶ月もしないうちに桜が咲くことでしょう。
あっという間です。

インド訪印4度目、3回目のラドヌーンでしたが、前にもお話したように、私にとっては、ラドヌーンは特別な場所です。

ジャイナ教の瞑想法「プレクシャ・ディヤーナ」の「国際瞑想キャンプ」に始めて参加したのは、2007年インド・ウダイプールでした。
インドに行ってみたいという20数年来の願いが叶えられたこともあり、コーフンしていました。
プレクシャ・ディヤーナをまだ学び始めたばかりの私には、男性出家修業者であるムニ(Muni)や女性出家修業者サドヴィ(Sadhuvi)たちとの出会いに驚きと感動を覚え、講座での教えは新鮮でした。
でも勉強したてで、最初はチンプンカンプンで理解するところまでは、到底達していませんでしたけどね。(^_^;)

2回目に参加した2009年のキャンプ地は、ジャイナ教テーラパンタ派の本部があるラドヌーンでした。
ラドヌーンは第9代最高指導者の故アチャリア・トゥルシー師の生誕地なのだそうです。
ニューデリーからバスで8~9時間かかるラジャスタン州の西に位置する砂漠地帯です。
そこはインドでは当たり前の喧騒とカオスの街とは、一線を画した場所です。
塀に囲まれた広大な敷地は、静かで、掃除が行き届き、花が咲き、孔雀やリスが遊び、木陰の風は爽やかです。
そこには、白い僧衣をまとい、マスクをしたムニやサドヴィ、そして出家修業者を目指すサマンやサマニ、学生のムムクシュさんたち、そして在家信者の方々やプレクシャ・ディヤーナを学ぶために集まった人々がいます。

サドヴィとサマニたち

サドヴィとサマニたち

みんな誰もが穏やかに笑みを浮かべて挨拶を交わし合い、眉間にしわを寄せて忙しく動き回る人は一人もいません。
心地よい安堵感が漂い、私は幸福感に満たされ、誰にでも優しくなれ、そして自分自身を許し、好きになれる空間です。
これほどの充足感を得られたことは初めての経験でした。

子供たちに囲まれて

子供たちに囲まれて

ジャイナ教のテーラパンタ派では、最高指導者のアチャリア(Acarya)が1名、その下に次代アチャリアとなるユバチャリア(Yuvacarya)が1名。
当時、ムニ(Sadhu=サドゥー)は約160名ほど、サドヴィは約500名以上。
出家修行者を目指すサマン(Saman)1名、サマニ(samani)約100名がいました。
その下に将来、出家修行者やサマン、サマニーになるための準備をしている学生をムムクシュ(Mumuksu)と言い、サンスクリット語で「解脱を希求する者」という意味だそうです。
パーラマールティク・シクシャン・サンスター(Paramarthik Ziksan Samstha)というムムクシュの学校があり、15歳から30歳までの(年齢制限はなし)女性が学んでいました。

テーラパンタ派の出家修業者は、移動が困難な雨期の4ヶ月を除いて、1年の大半はインド国内を徒歩で移動する(それも裸足で)遊行という過酷な生活を送っています。
同じジャイナ教の他の宗派と違い、歳をとったり、病気になったりして、遊行生活ができなくなった修行者のために。介護施設があり、若い出家修業者やサマン、サマニーたちが交代で面倒を見ています。
このシステムは他の宗派にはないものです。
なんて素晴らしい助け合いでしょう。

学校や施設を見学させてもらった時に、ベットに横たわっていた80歳くらいのサドヴィがいました。
そのベットには布団などはなくダンボールが敷いてあり、その上に白い布が1枚覆っているだけのものでした。
これはアチャリアであっても同じです。
老齢のサドヴィは日本から来た私たちのために、ベットから起き上がってくれたのですが、そのサドヴィに祝福をもらおうとおそばに寄ったとき、私は十数年以上も寝たきりの母のことを思い出し、突然涙が溢れて止まらなくなったことがありました。
そのサドヴィは穏やかで慈愛に満ち、本当に優しい方でした。
その後どうされたでしょうか。

2007年のウダイプールのキャンプで、たった一人のサマンであるシッダ・プラッギャ師に、教えを受けました。
「忍耐せよ」「反応してはいけない」というお話。
その頃、入社以来ずっとついている上司の下で仕事をしていましたが、毎日のように悩まされ、同僚とともにかわりばんこに口内炎が出来ていました。(^_^;)
「怒りを覚え、カッとなってもすぐ反応してはいけません。まずは深呼吸をして姿勢を正し、目を閉じて呼吸だけに集中し瞑想をして心を静めなさい。」と教えてくれました。
そこですぐに私は小学1年生のように元気よく手を挙げました。
「仕事中に目を閉じて瞑想などしたら、すぐ上司に「なに寝ているんだ?」と言われてしまいます。どーしたらいいでしょうか?」と質問したのです。
彼はにっこり微笑んで、「すぐに感情をコントロールできそうにないときは、その場を離れるのが一番です。お手洗いなどに行くといいでしょう」
すぐさま私はまた手を挙げました。
「机の前を離れられない時は、どーしたら良いでしょうか?」

私はその頃、よほど切羽詰っていたんでしょうねェ(^_^;)
彼はちょっと考えてこう答えてくれました。
「その時は、机の下で両手をニギニギしなさい。机の下なら誰にもわからないでしょう? そうすることで、頭に上った血を下げ、意識を手に集中させれば、逆上を抑えられます。」
なーるほど・・・。
その後、日本に帰国してから、私は何度、トイレに駆け込んだり、机の下で手をニギニギしたことでしょうか。(苦笑)
それをすることにより、瞬間的な怒りを少しはコントロールできるようになったような気がします。
まずは深呼吸です。

どんなジャンルでも言えることですが、専門用語や難しい言葉、美辞麗句が並んだ言葉で教える人より、誰にでもわかりやすい説明と言葉で教えてくれる人の方こそが、本物だと思います。

それから2009年にラドヌーンのキャンプに参加したとき、シッダ・プラッギャ師が講義を担当してくれました。
彼はまだサマンでした。
ただひとりサマンのままでも、彼はそれを不満に思うこともなく、以前と同じように穏やかで優しく素敵な人でした。
俗の世界どっぷりの私は、やっぱり思いました。
なぜアチャリアはあんなに優秀で人間的にも素晴らしい彼をムニにしないんだろう・・・と。
そのことがとても気がかりでした。

そして昨年ラドヌーンを訪れた際、知らず知らずシッダ・プラッギャ師を探している私がいました。
ある日、ムニたちがいる建物のそばを通った時、「なんか似ている人がいるなぁ。」と思いましたが、髪の形も違ってマスクもしているためよくわかりません。
そこで翌日、思い切って彼に似ているムニに、どさくさに紛れて近づいた時のことです。
私を覚えてくれていたのか、彼は私を見てニッコリと微笑み、小さく手を振ってくれたのです。

ムニになったシッダ・プラッギャ師

ムニになったシッダ・プラッギャ師

わぁ~! やっぱり彼だ♪♪♪
うれしさのあまり抱きつきたいほどでしたが、彼を断食させてはいけないので、ぐっとこらえました。
「良かった。ムニになっていた。」
涙がにじむほどに私は嬉しい気持ちでいっぱいになり、そのことだけでも、今回ラドヌーンへ来た甲斐があったというものです。
 
ジャイナ教のプレクシャ・ディヤーナは、宗教ではありません。
どう生きていけばいいのかを教えてくれるものです。
誰も信じませんが、私はヨガをやる前は病弱でした。
アサナを行い、呼吸を深く心がけ、食べ物を変えることにより、体質が改善されおかげさまで健康体となりました。
そしてこのプレクシャ・ディヤーナで、心の健康を得ることができ、少し生きることが楽になりました。

私が毎回、この瞑想キャンプに参加するのは、自分自身をリセットし、教えを忘れぬよう確認するため、そして心の清らかなムニやサドヴィたちに会いたいがために、私はインドを訪れるのだと思います。
この「インド瞑想の旅」のお話はこれでおしまいです。
お付き合いいただきありがとうございました。

私の自分探しの旅はまだまだ続きます。

在日ジャイナ教徒たちによるパジャンキエールタ

 一昨日、在日ジャイナ教徒の方々によるパジャン(マントラを唱えながら歌うこと)に参加してきました。

 私が所属する日本プレクシャ・ディヤーナ協会(http://jp.preksha.com/)では、ジャイナ教の瞑想法を勉強していますが、最近縁あって、在日インド人でジャイナ教徒の方々と交流させていただくことになりました。
インドの瞑想キャンプでも、毎日マントラを旋律に乗せて歌うようにして唱えるパジャンキエールタを行いますが、在日ジャイナ教徒の方々も月に1回ほど集まって行っているそうです。

場所は御徒町・・・なんで御徒町? 
それは宝石の街だから・・・なんで宝石の街?
ジャイナ教徒だから・・・なんで宝石なの?
ジャイナ教徒は「アヒムサー=不殺生」が第一ですから、土の中であれ、海の中であれ、命を傷つけないよう農業や漁業の仕事にはつきません。
だから商業や商売を生業としている人が多く、中でも宝石商の人が多いということです。

 御徒町の駅からしばらく歩いて、とあるビルのドアを押すとお香の香りが漂っています。
突然、雑踏の御徒町の街から、別な世界に潜入したという感じが濃厚にします。

 私たちが瞑想を学んでいるシュヴェターンバラ(白衣派)のテーラパンタ派は、偶像崇拝はせず寺院も持ちませんが、同じジャイナ教でも、派によって寺院を持ち、仏像を祀るところもあります。
「インド瞑想の旅」で訪れたジャイナ教寺院がそれですね。
在日ジャイナ教徒のリーダーであるスニーィルさんはディガンバラ(空衣派)だということですが、「ジャイナ教は宗教ではない。生きるための叡智である。宗派などはこだわることはない」とお話されていました。
すばらしい!

 2階に上がると部屋の中に祭壇があり、そこに祀られているのは、額に入った写真でした。
3.11の地震のあと、写真にある像は神戸に移したそうです。
お顔を見ると「かわゆい♪」
なんだかとっても可愛いお顔をしています。

24人のティールタンカラ(解脱者)のうちの一人だそうです。可愛い

24人のティールタンカラ(解脱者)のうちの一人だそうです。可愛い

 そこでお参りをしてから、さらに上の階に上がると何やら賑やかな音楽が聞こえてきます。
その部屋には、鍵盤楽器のハルモニウムや打楽器のタブラを打ち鳴らしながら、パジャンを歌うアショークさんがいました。

パジャンを行う・歌うアショークさん

パジャンを行う・歌うアショークさん


ハルモニウムとタブラを演奏するのは日本の人

ハルモニウムとタブラを演奏するのは日本の人

祭壇にはやはり神戸に移されてしまった像の写真が並んでいます。

壁際に飾られた祭壇

壁際に飾られた祭壇

 それらはジャイナ教の24人のティールタンカラ(解脱者)の方々だそうで、最後の24番目がジャイナ教の始祖である「マハヴィーラ」です。

24人のティールタンカラの絵

24人のティールタンカラの絵

 お顔がみんなとても可愛いらしく、なぜなのかと聞いたら、子供のように清らかで無垢なことを表しているのだそうです。

みんな可愛いお顔

みんな可愛いお顔


その祭壇に向かって右に女性たちが座り、左側に男性たちが座ります。
集まったジャイン(ジャイナ教徒)の方々

集まったジャイン(ジャイナ教徒)の方々

 在日インド・ジャイナ教徒の方々に加え、その日はNPO 南アジア協会主催の南インド寺院見学ツアーの日本人の方々も参加されていました。

 パジャンをやる意味は、マントラを歌にして気持ちを解放させたうえで、自分自身を見つめ直すということのようです。
その言葉通り、マントラを唱えるというか歌っているアショークさんや参加されたインド人の女性は実に気持ちよさそう。
一緒に口ずさんでいるインド人の方もいました。
ラドヌーンで聞いたパジャンより、リズム感のあるものが多く、自然に体が左右に揺れて楽しかったですよ。

 その後、階下の寺院の部屋に戻り、お皿にロウソクを灯し、まずは男性たちがそのお皿を持ち、マントラを唱えながらそのお皿をぐるぐると水平に回します。
DSC_1196

ヒンズー教でも火を祀る儀式が多いですよね。
その流れでしょうか?

歌ったマントラの意味がわかったら、もっと楽しかったでしょうね。
今度は内容を聞いてみましょう。

 隣りに偶然座ったのは、アショークさんの奥様であるアミータさん。
二十で結婚し、すでに28歳のお子さんがいて、某有名銀行にお勤めしているとか。
彼女自身は、インターナショナルスクールの幼稚園部にお勤めだそうです。
もうひとり14歳のお子さんは、なんと公立の上野中学校に通っているとか。
入学前に学校に電話して、給食を菜食に対応してくれるかどうか確認したら、OKをもらったので、その学校に決めたそうです。
菜食は一人だけ。びっくりですね。
日本の学校も捨てたものではありません。
たった一人の菜食主義の生徒のために、ちゃんと対応してくれるなんて、上野中学校すごい!
さらにインドでサリーを買ったはいいけれど、着方がわからなかったので、アミータさんに今度教えてくださいとお願いをしました。

 異文化に触れることが出来るだけでなく、さらにインドを訪れても、なかなかお友達にまではなれませんが、ここでは素敵な出会いがいっぱいありそうです。

 今週末の22日の土曜日には、ジャイナ教を通じて、日本とインドを結ぶ交流会が初めて開催されます。
https://www.facebook.com/home.php#!/events/245686315605742/?ref_dashboard_filter=upcoming&source=1

 今後の瞑想会やワークショップによりさらにご縁が広がるのは大きな楽しみです。
どうぞみなさんご一緒しませんか?

インド瞑想の旅 その10 もう一人のスーパームニ

はてさて、ありえないヨガアサナを見せてくれるムニ・ジャイクマール師から、「幸せの雨が降る」という素敵なマントラを教えてもらいましたが、もう一人私が尊敬してやまないムニがいます。
その方は、ムニ・シュリ・キッシャンラール師です。

ムニ・シュリ・キッシャンラール師

ムニ・シュリ・キッシャンラール師

大柄でたっぷりとした大きなお腹と、ちょっと見は少々鋭い目ですが、ムニ・キッシャンラール師の周りには、いつも小さなムニが側にいます。
愛おしそうに年端もいかない可愛いムニたちと接するのを傍から見ていると「孫を可愛がるおじいちゃん」といった微笑ましい風景です。

この日からお坊さんになるために来た小さな坊や

この日からお坊さんになるために来た小さな坊や

同師に初めて会ったときの印象は、体全体から発するそのエネルギーに圧倒され、その目はすべてを見抜かれているような感覚さえ覚えました。

輪廻転生はジャイナ教の根本思想ですが、日本の瞑想の先生である坂本先生は、随分昔になりますが、同師から過去世回帰瞑想を受け、自身の過去世を知ったということです。
私も自分の過去世を知りたくもあり、知りたくもなしといった微妙な気分ですが、今は行っていないようで、少しほっとしました。
だって前世が「人間以外の生き物」や「机の足」とか言われたらショックだもの。(^_^;)

ムニ・キッシャンラール師

ムニ・キッシャンラール師

キシャンラール師のエピソードとして、師の能力を嫉妬した人から毒を盛られたのですが、瞑想の力で解毒してしまって事なきを得たのだそうです。
ナットマル・タテヤ博士からその話を聞いたと、坂本先生はお話されていました。
凄いですよね。
瞑想で解毒してしまうとは吃驚です。
やはり常人ではありません。
不思議な力や超能力を持っている同師からは、毎回様々な瞑想法やマントラを教えてもらっています。

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中でもキッシャンラール師の眉間を、瞬きをせずにじっと見つめるという方法があります。
ひたすらバストリカ(ふいごのように息を力強く吸ったり吐いたりする呼吸法)をやり続けます。
苦しくなってもひたすら続ける。
さらにそこからひたすら眉間を凝視する。
目が痛くなり、ボロボロと涙が流れても、瞬きを我慢してひたすら見つめます。
う、う、う~っとなるうち、突然、同師の体の周りを包むオーラの色が金色に近い黄色や白い色に覆われ、顔がどんどん変わっていきます。
え゛っ? なに、これなに?!?
初めての時は、般若の顔に見え、今回はとても若い青年の顔に変わっていくのが見えました。
ほんの短い間ですが、私だけでなく同行者たちも同じような感覚を味わった人もいました。
これがなんなのか、私には説明ができませんが、ひたすら激しい呼吸や凝視をすることで、雑念を払い除け、集中とともに心身がクリアになっていくような感覚があります。

そんなパワーとエネルギーの持ち主である師は、近寄りがたい雰囲気かと思うとそんなことはまったくなく、いつもインドの小学生や中学生たちを相手に、優しく講話をお話したり、わかりやすくマントラや呼吸法、瞑想を教えています。

ムニたちの住まい兼講義部屋がある建物

ムニたちの住まい兼講義部屋がある建物

さらに「私は見た!」・・・何かのドラマの題名のようですが、2007年に瞑想キャンプに参加して以来、ムニがマスクを外すのを初めて目撃しました。
画期的なことです。やったぜ!
マスクを外したのは、薬を飲んだ瞬間でした。
鋭い目の印象からは一転して、優しい素顔がそこにあり、私はホッとしたような、安心したような、自分の気持ちがさらに師に近づいたような気がしました。
毒を盛られた後に、「大きな病気をされて、今は薬を飲んでいるのだと思います。偉大なメディテーターも年をとられたのだな。」と師と永いお付き合いのある坂本先生が感慨深そうにぽつりと言われました。

もう一人マスクを取った瞬間を見たムニがいます。
それは一昨年に11代アチャリア(テーラパンタ派の最高指導者であり代表者)のアチャリア・シュラーマン導師です。

アチャリア・シュラーマン最高指導者

アチャリア・シュラーマン最高指導者

この方は、ユヴァチャリア(副代表)だった頃から、やはり目が鋭く、ハリウッド・スターの「ジャック・ニコルソン」によく似ているなと思いました。

ジャック・ニコルソン似?

ジャック・ニコルソン似?

インドのジャック・ニコルソンは、水を飲むために、マスクを外したのです。
やったー!
思いのほか唇が厚く、印象と全然違いました。
いつも口数少なく、マスクのため表情はなかなか読み取れませんが、案外「ニコッと笑うと可愛いかも」などと想像してしまいました。

私の「インド瞑想の旅」は、これで終わりかと思ったらさにあらん!
まだ続きはあるのよ。
むふふ
次回、乞うご期待!
To be continued!

インド瞑想の旅 その9 目が点!と幸せの雨

ジャイナ教のムニ(僧)の中で、日本人グループとご縁があり、親しくさせていただいている方が何人かいます。

その中の一人、ムニ・ジャイクマール(J・K)師に出会ったのは2007年。
初めて瞑想キャンプに参加したときのことです。
ムニの中には、ベジ(菜食)であるにもかかわらず、お腹がでっぷりとしたいわゆるおデブ?!の人もいますが、J・K師はほっそりとしたしなやかな体つきに澄んだ目を持ち、どこにも滞りのない、霞を食べて生きているような透明感のあるムニで、誰もがいっぺんで魅了されてしまう、みんなのアイドル的存在です。
僧でアイドルっていうのもチト変ですが。(^_^;)

みんなのアイドル ムニ・ジャイ・クマール師

みんなのアイドル ムニ・ジャイ・クマール師

毎回のように、日本人グループの講座を担当していただき、すっかり顔なじみです。
今回もセンターを訪れ、少し離れたところで私たちと顔を合わせたら、ニッコリと微笑んでくださいました。
私はチョー嬉しくなり再会できた喜びに、走って行ってハグしたいのをぐっとこらえ、犬が喜んでちぎれるほどに尻尾を振るのと同じくらいに、めいっぱい手を振りました。

なぜこの私がハグしないかって?
それは、女性はムニに50~60cm以内に近づいてはいけないのですよ。(^_^;)
ましてや触れるなどトンデモナイ!
故意ではなく、うっかり体がぶつかったり、触れちゃっただけでも、ムニは2~3日の断食をしなければならないそうです。かわいそう。
これ以上痩せっちゃったらどうしましょ。
もちろん男性もサドヴィ(尼さん)に近づいてはイケません。
だから物を渡すときは、直接手に渡すことはせずに、近くの床にぽんと放り投げるのです。
最初、投げて渡すのを目撃したときは、ランボーな!と思い、随分ビックリしました。
さらに初めて会った時に、一緒に写真を撮っていいかと許可を得て、隣に並ぼうと側に寄ったら、ぴょんと50cmほど飛び跳ねて離れたのです。
その素早かったこと。

ムニ・ジャイ・クマール師とちょっと離れての写真

ムニ・ジャイ・クマール師とちょっと離れての写真

さすがヨガ人。
彼は超人的なアサナができるスーパームニであり、そして更に眠らない僧としても有名です。
10年以上、一晩中パドマ・アサナ(蓮華坐・結跏趺坐)で壁に頭をもたれかけるようにして瞑想をし、横にならなかったようです。
最近は、23:00~01:00の2時間だけは、横になってカヨーウッサグをやるとお話していました。
「カヨー」は「からだ」、ウッサグは「去る」という意味で、体と意識の分離を目的とし、完全なるリラクゼーションを目指すプレクシャ・ディアーナで一番初めに行うものです。
身体の各部位に向けて、自己暗示の誘導を行いながら、体中の力を抜いていくものですが、今では自律訓練法として広く知られています。
基本は横になって行いますが、座位(パドマ・アサナまたは椅子に腰掛ける)または立って行うこともあります。
ただし立ったままだと、睡魔に襲われた時、ガクッと膝が折れて、転倒する可能性あり。初心者には危険かも。(^_^;)

瞑想をやる前には、「私は決して眠りません」と誓うのですが、修行の足らない凡人は悲しいかなすぐ眠くなっちゃうんですねェ。
仰向けになり右足の親指から順に意識を移しながら、深い呼吸を続け、力を抜いていくのですが、数分も経たないうちに、気持ち良くなり、つい「ん、ん、んがぁ~」と心地よぉ~く眠っちゃう。
時たま自分のイビキで目が覚めたりして(^_^;)
J・K師はもちろんイビキをかいて寝てしまうということはないと思います。

今回は、なんでも質問して良いというので、ズッポリ・・・聞きました。
1973年10月12日生まれ。
幼い頃、お父様を亡くし、二人のテーラパンタ派のムニに勧められ、19歳になった1992年10月に「魂の幸せ」を求めてムニになったとのこと。
その時、お母様はとても喜んだそうです。

恋愛経験はあるのかと聞きたいところでしたが、とてもそんな下世話な質問はできず、ムニやサドヴィたちは清らかで、異性のことを想像することさえも禁じられているのですよ。
いつも女の子のことばかり考えているエロおやじに、爪の垢でも飲ませてあげたいね。ぐふふ

ある時、ヨガのアサナ「バッダ・パッドゥマアサナ」の話になりました。
それはパドマ・アサナで座り、背中で腕を交差させて、手の先を前に回して両足の指先を掴むというもの。
それをJ・K師がいとも簡単にやって見せてくれました。
みんなで「流石だねェ」などと言ったものの・・・なんか変?!?
後ろにくるっと回ったその姿を見て
ガーン Σ(|||▽||| )
驚愕! 絶句! フリーズ! 唖然! 
そこにいた全員が固まりました。カッチーン!

あり得ないアサナ! 

あり得ないアサナ! 

そこに見たものは、後ろで腕を交差させただけでなく、ナントその腕はクルッともう一回絡んでいるではありませんか!
あり得なぁ~い。
みんなで目をこすりましたが、やっぱり現実です。

マッツエンドラ・アサナ(ねじり)の変形

マッツエンドラ・アサナ(ねじり)の変形


これまで直にスーパーアサナを行う先生やグルに何人かお目にかかっていますが、これほどまでのアサナを行える人は初めてです。
でも何故か、逆立ちやアーチのポーズはしないようです。
なぜなのか聞くのを忘れました。

そして今回とっておきのマントラを教えてもらいました。
「Mangal Bhavana」の時間に「幸せの雨がふる」というマントラです。
自分への平和の祈り、そして自分の人生への願い、これを唱えることによりオーラが出て、忍耐力が養われ、強さと力、そして平和な気持ちに満たされるというものです。

「Arnando me Varshati Varshati」
アーナンドーメイ ヴァラサティ ヴァラサティ
私の心の中で幸せの雨がふる 苦しみ、悲しみがない
「No me Dukham、NO me Dukham」
ノーメイ ドゥーカン、ノーメイ ドゥーカン
私には苦しみがない

幸せの雨がふる

幸せの雨がふる

この幸せの雨は緑色なのだそうです。
きっと冷たい雨ではなく、温かいのでしょうね。

瞑想中は一切体を動かしませんが、この時は目を閉じたままマントラを唱えながら、旋律に乗り、バイブレーションに任せて自由に体を揺すって構いませんというより勝手に体が気持ちよく動いちゃうんですねェ。
唱えていくと気持ちが明るく楽しくなり、解放されて本当に幸福で平和な気分に満たされたのでした。

真面目な授業風景に見えますが、一番笑い声が絶えなかったクラスかもしれません。

真面目な授業風景に見えますが、一番笑い声が絶えなかったクラスかもしれません。

質門の最後に同行者の一人が彼に訊ねました。
「今まで一番辛かったことはなんですか?」
「辛いことは一つもありません」即座に彼はそう答えました。
それはとても深い意味だと思います。
世界で最も戒律の厳しい宗教であり、私たちが辛いことだらけに思えることも、ジャイナ教のムニやサドヴィにとっては、苦ではないのです。
その境地に至るには、やっぱりラドヌーンで修行するしかないかな。

マハヴィーラの悟りを開いた時の絵

マハヴィーラの悟りを開いた時の絵


マハヴィーラが悟りを開いた時の乳絞りのポーズ

マハヴィーラが悟りを開いた時の乳絞りのポーズ

さてまだまだ続きはあります。
次回、乞うご期待!
To be continued!

インド瞑想の旅 その8 すっきりアーユルベーダ式健康法

毎晩20:00からは、センターの中にある「JAIN VISHVA BHARATI UNIVERSITY」という大学の先生であり、医師であるDr.Pradyumn Singhの「Anotomy&Preksha Meditation」という授業です。

医学的見地から瞑想と心身の関係を学ぶもので、興味深く、PCの画面に食いいるようにしてワクワクしながら勉強しました。
子供の頃、このくらいの気持ちで勉強していたら、私の人生ずいぶん違っていただろうなぁ。
もう遅すぎるか・・・。

PCの画面を見ながらお勉強

PCの画面を見ながらお勉強

Pradyumn先生は、学生のスポーツ顧問もしているようで、ちょうど試合があるとかで毎日とっても忙しそう。
さぞ朝も早いのでしょう。
私たちもこの時間になるとそろそろ欠伸が出始めていましたが、先生も講義中に欠伸が出てしまい「Sorry」と言ってました.
さぞ一生懸命生徒の面倒を見ているんだろうなと想像できるくらい穏やかで懐の広い、人として魅力的な先生でした。
インドでは、西洋医学による治療に加え、インド式アーユルベーダを取り入れた医療が最近進んでいるそうです。
日本でも東洋医学を取り入れて治療をする西洋医療の病院もあると聞いたことがありますが・・・。

ある日、大学に招待してくれました。

センター内にある大学

センター内にある大学


朝、8時頃に行くと、若い学生さんたちがちょっとはにかみながら、にこやかに歓迎してくれました。

教室に入るのかと思ったら、建物のそばの運動場の端っこに、学生さんたちがなにやらバケツや水やいろいろ持って集まってきました。
インド式アーユルベーダの健康法を実際にやって見せてくれたのです。

まずは「鼻うがい」
知っていますか? 「鼻うがい」って。
片方の鼻の穴から、水を入れて反対の鼻の穴から出すという、鼻の奥をきれいにする方法です。

腰を直角に90度に曲げ、首を90度横に曲げるのがコツ

腰を直角に90度に曲げ、首を90度横に曲げるのがコツ

これをやる時、ただの水だと鼻の奥がツーンとして「う゛ぎゃぁ~っ」っとなってしまいますが、ぬるま湯に塩を少し入れると痛くなりません。
うまくやると塩水を入れた反対側の鼻の穴から、筋状に水が出てきますが、慣れないと喉の方へ回ってしまい、ゲホゴホして涙流しながらむせる人もいます。
ここで大事なのは、鼻の奥が痛くなるんじゃないかという恐怖心を払って、ただ塩水が鼻の奥を流れるままにお任せするのみ。
気持ちいいですよ。

インドでは鼻うがい用のネイティポットというものが売られています。
日本で手に入らない場合は、100円ショップあたりで、急須を買って代用すると良いでしょう。

今回買い求めた真鍮製のネイティポット

今回買い求めた真鍮製のネイティポット


これはプラスティック製の前から使っているネイティポット

これはプラスティック製の前から使っているネイティポット

私も日常的にやっています。
風邪の予防や花粉の時期などは効果抜群です。
騙されたと思ってやってみてください。

うがいの後は、片方の鼻の穴からもう一方の鼻の穴へ紐を通してお掃除します。

やり方を指導する先生

やり方を指導する先生


両方の鼻の穴に紐を通して、余裕の笑顔

両方の鼻の穴に紐を通して、余裕の笑顔

イケメンの男子学生が使っていたのは、綿の紐でなく、細い樹脂のようなものでした。
でも両方の鼻の穴から、紐がぶら下がっているというのは、いくらイケメンでもあんまりカッコ良いものではなく、笑っちゃいました。(^_^;)

さらに今度は、木綿と思われる紐を飲み込んでいました。んんん?!?
器用に飲み込んでいきます。
全部飲み込んだら紐の端っこをズルズルと引っ張り出します。
きっと食道のお掃除なんでしょうか。
胃まで到達しているのかな?

紐を飲み込んで、ズルズルと引っ張り出しているところ

紐を飲み込んで、ズルズルと引っ張り出しているところ


胃の洗浄として次は3リットルくらいのぬるま湯に、やはり塩を少々入れてかき混ぜます。
それを先ほどのイケメン学生が一気にゴクンゴクンと飲んでいきます。
それにしても、この子は苦痛系が得意なのか?!?
ビールだったら1リットルくらい飲めても、塩水をあんなに一気には飲めないなぁと感心してみていると、次にお腹から体を折り、地面に向かって指を突っ込みやおら「おえェ~!!!」と塩水を吐き始めました。
朝早い時間にしたというのが、ここではっきりわかりましたネ。
空腹時でないとこれは無理です。ハイ
これぞ究極のデトックス!

ここでの先生と生徒さんたちとのやりとりを見ていると、とても仲が良く、日本での生徒と先生の間柄とは、明らかに違っていました。
学生さんたちも、みんな笑顔が素敵なとても気持ちの良い若者ばかりで、先生たちと学生たちは、信頼関係で結ばれており、お互いに心を許し合っているようにさえ見受けられました。
インドの学校がそうなのか、Jainの学校の先生と学生さんたちだからでしょうか。
気持ちがほんわかとするほどに、とても素敵な学校でした。

学生さんたちと記念写真

学生さんたちと記念写真

この子達が卒業したら、どんな風にインドの社会に貢献するのか、将来がとても楽しみです。

さてまだまだ続きます。
乞うご期待!
To be continued!

インド瞑想の旅 その7 抱腹絶倒マツ○○劇場

明けましておめでとうございます。

穏やかな元旦ですね。
今年もビシバシとブログをUPしていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
ムニ(お坊さん)のお話をと思いましたが、お正月を迎え、ここはひとつ新春初笑いということで。

私の友人で、このブログにちょこちょこ出てくるマツ○○さんという沖ヨガの先輩でもあり、友人がいます。
私は彼に対して他の人よりかなりハッキリものを言うので、彼にとって私は「天敵?!?」
その割には仲良しなんですけどね。
彼との付き合いは長いのですが、彼と一緒だと国内外どこへ行っても、何かが起きる! 
まさに珍道中というにふさわしく、必ず何かしでかしてくれるんですね。この人・・・。
ま、平たく言うとトラブルメーカーってこと?
彼にまつわることならいくらでもネタがある。アハハ
今回も期待に応えて、やってくれました。

1週間の瞑想キャンプでは、食事は完全菜食で、アルコールやタバコはもちろんNG。
さらにジャイナ教の教えに従って、アヒンサー「非暴力・非殺生」を守るため、小さな虫を殺したりしないよう、拍手はしません。
拍手の代わりに両手の手のひらを上に向けてヒラヒラさせるのです。
よく幼稚園できらきら星を歌うときにやるでしょ? あれです。あれ。
大の大人がみんなで手のひらをヒラヒラさせるって結構微笑ましいものです。

羽織袴で旗を持つまつ○○さん

羽織袴で旗を持つまつ○○さん

インドだからもちろんハエや蚊はトーゼン元気よく飛んでいます。
「瞑想中は体を決して動かしません」と誓ってから瞑想に入りますが、瞑想中でなくても手で払ったり、ましてや手でパチンなどと、挟んで殺すなんてのはもってのほかです。
瞑想中にハエや虫が顔や腕の上を這いずっても、ムズムズしても、こそばゆくても・・・必死にじっと耐えます。ひたすら耐えるのみ。
最初の頃は我慢できずに、体を動かさず目をつぶったまま、下顎を突き出して、鼻の上に息を吹き込んだり、顔の筋肉を動かして、虫をなんとか追い払おうとしました。
でも瞑想を続けていくうちに、だんだんとあの早朝のイスラム寺院からジャンカ、ジャンカ♪♪♪と鳴り響いてくる大音響も、集中が深まると気にならなくなるのと一緒で、「心頭滅却すれば火もまた涼し」ですよ。ハエが鼻の穴に入って来るのは、かなりツライけどね。
虫なんぞに気を取られるのは、まだ修行が足らんね。修行が。

アヒンサーを全うすべく、インドへ行く前に、同行の参加者には「殺虫剤や蚊取り線香は持参しないよう」にと注意します。
だいたい虫にボコボコ刺されまくるというのは、血液が酸性化(いわゆる血がドロドロ)している証拠で、偏った食生活で甘いものや肉類を多く摂取している人ですね。(^_^;)

今回も夜になると、ゲストハウスの白い壁には、なにやら小さな虫がいっぱい。言わずと知れたモスキート。
気にすると刺されなくても痒い気がするから、長袖長ズボンを履いて、気にしない気にしないと自分に暗示をかけながら寝ちゃう!
ある朝、マツ○○さんの部屋に行ってみたら。ガーン!
ベットの足元にあったのは、緑色のぐるぐると渦巻き状をした明らかにmade in japanのものが。そう蚊取り線香です。
ぎゃぁ~!!!!!!
ダメじゃん。そんなもの焚いちゃぁ。
ジャイナ教の人に知られはしないかと、私は青くなって心臓ドキドキ。
インドのキャンプに何回も来ているにもかかわらず、彼はのたまった。
「だって壁にいっぱい蚊が張り付いているし、同室の人が蚊取り線香持ってきたんだもん。」
「ったく、もう・・・」
そこでまた彼は私に怒られることに。

ロシア美女と

ロシア美女と

ある日のこと、大学で哲学を教えているランジット先生からレーシャ・ディヤーナを教わっていた時のこと。

まつ○○さんの後ろがランジット先生 真ん中はランジット先生のお父様

まつ○○さんの後ろがランジット先生 真ん中はランジット先生のお父様

レーシャ・ディヤーナとは、ものすごく大雑把に説明すると、ケンドラ(チャクラ)に関連する霊的な色彩を知覚しながら、ネガティブな本能的欲求や悪業を軽減するというものです。
私たちの体はオーラ(電磁気的なエネルギー)を放射しており、それが体の外側を覆っているのですが、私たちの感情によって変化し、不純な情念の波動である悪いレーシャを良いレーシャヘ置き換えることにより、意識は純粋になると言われています。
良いレーシャは、赤色、黄金色、白い色に象徴されます。
悪いレーシャの色は、灰色、濃い青色、そして黒!と、先生が言った途端、先生の目の前をなにやら一部黒いものが足早に通り過ぎました。
え〝っ?!  あ〝っ?!  う〝っ?!
その時、部屋中は一瞬にしてフリーズ!!
ランジット先生の鼻の先で、ズボンが脱げて、履いていたブリーフが丸見え。
その人は誰あろう我らがまつ○○さん。
しかもあろうことか、そのブリーフは悪いレーシャ色の最高峰「黒」

彼は夕食後、満腹でズボンの紐を緩めていたところ、受講中にお腹がさしこんで、焦ってトイレに行こうとしたら、ズボンが脱げちゃった!
まるで漫画です。
おかげで爆笑の渦。
しばらく講義にならなかったのは言うまでもありません。
よりによって黒ですよ。
彼いわく「だって、白いのはみんな洗濯しちゃったから、黒いのしかなかったんだもん」
憎めないんですねェ。この人。

まつ○○さんと長老

まつ○○さんと長老

てなことで、今年も「インド瞑想の旅」まだまだ続きますのでよろしくお願いします。
乞うご期待!
To be continued!

インド瞑想の旅その6 スター並みの人気?!

今回の瞑想キャンプは、先々代のアチャリアであるトゥルシー師の生誕100年記念イベントがあり、毎年11月に開催されるキャンプは、10月20日のアチャリア・トゥルシーの誕生日に合わせ開催されました。

アチャリア・トゥルシー

アチャリア・トゥルシー

イベント用にと浴衣とそして歌の準備も。
日本の歌をムニやサドヴィを始め、キャンプに参加している各国の人や信者の方々の前で日本の歌を披露するのですが、私は歌が苦手なため、ここは歌の上手い人に任せるしかない。(ーー;)

日本代表 Tさん なぜか歌ったのはシャンソン?!?

日本代表 Tさん なぜか歌ったのはシャンソン?!?

ウクライナかロシアかよくわからないけど、彼らは子供から大人まで歌の上手い人がいるんですねェ。
食べ物の違いなのか、みんなびっくりするくらいの声量です。

ロシアかウクライナか?そのグループのドン

ロシアかウクライナか?そのグループのドン

この坊やめちゃくちゃ声量もあってうまかった

この坊やめちゃくちゃ声量もあってうまかった

それにしても毎回思うんだけど、日本の歌は叙情的というか・・・暗いんだよね。
今まで陽気な歌で盛り上がっていたのが、「荒城の月」とか「ふるさと」とか歌っているうちに、だんだん会場は静かぁ~になり、暗~くなってしまうのよ。困ったな。
盛り上がるのは世界中の人が知っている「上を向いて歩こう!」だね。
「上を向いて歩こう!」は偉大である。
それと「鳩ポッポ」アハ
大の大人が大真面目に歌っている姿もなかな良いものです。

この日、広いセンターの中を行進するため、先頭を切って歩くのは日本人グループです。
すごいでしょ!
なぜ日本人が先頭なのかと言うと、どうやらジャイナ教テーラパンタ派をインド国外に初めて広めたのは、日本人だからというのがその理由のようです。
ちょっと誇らしかったね。
旗手は我らがリーダー、日本プレクシャ・ディヤーナ協会代表の坂本先生。

行進の先頭を行くのは、我が日本の瞑想の先生 坂本先生

行進の先頭を行くのは、我が日本の瞑想の先生 坂本先生

先生はプレクシャ瞑想の本を日本で2冊出版され、沖ヨガ関係では(日本では)、プレクシャ瞑想指導の第一人者です。
坂本先生とマツ○○さんは羽織袴。
女性群は浴衣を着て行進です。(この浴衣の着付けが大変だったのよ。汗だく・・・。)
この羽織袴と浴衣姿がよほど海外の人たちには珍しかったようで大人気!
着ている本人たちがびっくりするほどに人気を博し、一緒に写真を撮りたいと大勢の人たちに囲まれました。
なんとなく映画スターにでもなったような感じで、ちょっと気分良かったネ。エヘ
「ニホン、キモノ」と絶賛の嵐!

日本人グループは写真撮りまくられました

日本人グループは写真撮りまくられでした

それぞれの民族衣装で

それぞれの民族衣装で

坂本先生と松○○さんとロシアかウクライナかどっちかのドン

坂本先生と松○○さんとロシアかウクライナかどっちかのドン

日本文化の着物は、国際親善に大いに役立ちました。
私のは新しくもなく、地味ィ~な浴衣なので、この人気に少々面食らいましたが、海外の人にしたら浴衣であっても着物の1種だし、あんまりわかんないかも。
だから多少気崩れても大丈夫!と妙な自信があり、着崩れを気にする仲間に「わかりゃしないわよ」と安心させる。(^_^;)

サリーを着た美人さんと

サリーを着た美人さんと

日本人以外には、ロシアグループとウクライナグループが多かったのですが、民族衣装を見ても、その違いが分からなかった。
もちろん顔を見ただけじゃまったくわからない。

ロシア?ウクライナ? 美人揃いです。

ロシア?ウクライナ? 美人揃いです。

浴衣1枚でこんなにも国際交流が盛り上がるなら、今後海外へ行く際には浴衣1枚持っていこうかしらと思いました。

次号はムニのおはなしを予定。
乞うご期待!
To be continued!


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]