2019年インド瞑想キャンプ その11 ジャイナ教 ディガンバラの寺院と僧

3年かかった報告記

前回参加したインド瞑想キャンプは、2019年だったので既に3年前。その旅行記の第10「インド瞑想キャンプ その10 俗世間(娑婆)に戻る」

を最後に、一昨年の11月からフリーズしたままになってしまいました。

それから2年・・・毎朝、亡くなった両親にお茶とお線香をあげ手を合わせるたびに、遺影の前に飾ってあるジャイナ教の小さな仏像がいやでも目に入り「あ゛~っ、早く書きあげなきゃ!」とお尻をたたかれる思いで毎日冷や汗の日々。だったらさっさと書けばいいんだけどね。

今年11月にインドで開催される国際瞑想キャンプに、3年ぶりで日本から参加するツアーが実施されることになりました。

コロナ禍で疲弊した自分を、ジャイナ教の聖人たちであるムニ(お坊さん)たちに再会して、己を再度見つめなおし(カルマを軽くできるものなら・・・と都合よく考える(汗))たいという一心で参加することにしました。

せめて出発前に、前回の旅行記を書き上げなきゃ!と気持ちを入れ替えて・・・一気に書き上げたのでチト長いですがご容赦を。m(__)m 

前回 その10では、キャンプを無事終え、1週間ぶりにビールで喉を潤し、俗世間のありがたさに歓喜した私たちは、娑婆に戻ったとはいえ、やはり「インドに古代から続くジャイナ教に触れる旅」なので、訪れるのはやっぱり寺院です。

シュラバナベルゴラのヴィンディヤギリ

マイソールの北部80kmに位置するシュラバナベルゴラは、南インド最大のジャイナ教の中でも衣を身に着けない空衣派(ディガンバラ派)の聖地で、ここを中心に32の僧院があったとされている所を目指します。

私たちが参加したプレクシャ・ディヤーナ(知覚瞑想)のキャンプを主催したのは、白衣派(シェタ-ンバラ派)のテーラパンタ派。

シュラバナベルゴラのうち、ヴィンディヤギリ山頂にある寺院には、981年に一枚岩を掘り出して作られた高さ18mもあるゴーマティシュヴァラの石像があります。

そこへ行くには基本は裸足ですが、石段が暑くて裸足で歩けない人用に靴下を売っていました。確か2足で500円くらいでしたが、インドでは破格の値段。いかにも観光地で人の足元を見た値段である。靴下だから足元見られても仕方ないか。(汗)

シュラバナベルゴラ 遥か遠くにヴィンディヤギリ山頂にあるゴーマティシュヴァラの像の上半身の一部が見えます
目の前にはかなり急な階段・・・614段あります
ひたすらこの永遠と続く階段を登っていかなければなりません。

足腰に不安のある人用に籠があった。竹を2本渡しその上に座って担いで登ってくれる。坂本先生がギブスの私をチラと見て「まちこさん 駕籠で行ったら?」と気遣ってくれました。確かに私もギブスの足で登り切れるのであろうか???という不安はあった。

この籠を男性4人で担いで階段を登る

だが、冷静になって・・・いや冷静にならなくとも「5000円はめちゃ高いな。新宿から練馬までのタクシー代くらいじゃん!」 いくら観光地といえど、2019年当時のレートでデリーからムンバイまでの国内線が4100円である。ぼったくりである。しかもその籠は江戸時代の罪人の市中引き回しの刑みたいだし、お金に飽かして随分と偉そうな感じで、恥ずかしいことこの上ない。

そこで私はしばし考えた。「行けるところまで行こう! ダメだったらそこでみんなを待てば良い」と判断し、ギブスの足を引きずりながらみんなと登り始めました。

私はこの足でインドへ行きました。

私は永遠と続く階段を登山と同じくひたすら呼吸を合わせ、淡々と片足をあげては、もう片方を引き上げることを繰り返しました。もはや動く瞑想! 
すると高度が上がるにつれ、一人また一人と追い抜いていき、着いたときは女性でトップで登頂。 やったー! この時は本当にうれしかった。

見よ! このうれしそうなワタシ

巨大石像

この寺院の入口を通り抜けると・・・ドドーンとゴーマティシュヴァラが出迎えてくれました。この像のお方は、ジャイナ教初代祖師の息子で、ジャイナ教24聖人のうちの一人で、裸で12年間直立不動(このポーズはカヨトサーガといって、完全なる自己放棄を表すのだそうです)のまま瞑想し、その体には蔦が絡んでいたといわれているのだそうな。凄い!

一枚岩を掘り出して作られた高さ18mもあるゴーマティシュヴァラ

で、で、でかい! さすがに大きい。大迫力である。

1000年以上も前に、クレーンも掘削機もなく、コツコツとノミで1枚岩をくり抜いたのだろうか? 気の遠くなるような作業である。

口をあんぐりと開けて下から見上げると、まじまじと見るにはチト気恥ずかしいお姿である。いやいや・・・聖人をそのように見てはイケナイのである。ディガンバラの像は無所有を示すため、衣類は付けずにスッポンポンだからとても自然なのよ。

人はじっとしていることが大変苦手です。

瞑想中に動かないようにと言っても必ず、鼻の頭をかいたり、脚が痛くてモゾモゾする人がいます。体を動かすとそちらに意識が行ってしまい、集中が途切れてしまうのです。15分間だけでいいから目を閉じてじっと動かないようにしてみてください。初心者は5分でも結構難しいと思います。

それを12年間ですよ! 12年間! 

蔦が体に絡み苔も生えたそうな。うーん、トイレはどうしたんだろう?と下世話なことをつい考えてしまう私です。信者さんたちに怒られそう(汗)

私たちはそこでインドの人に混ざって、マントラを唱え始めたら、周りの人々が大いに驚いた。日本人グループが突然マントラをスラスラと唱え始めたからで、これぞ「インド人もびっくり!」

そこで寺院関係者が私たちを手招きして像の真ん前の囲いの中へ入れてくれました。

呆然と私たちを見る女の子

ゴーマティシュヴァラ の前で

私たちはここで祈りを捧げ、インドの人々の好奇と半分尊敬のまなざしを浴びながら、次なるチャンドラギリを目指します。

はるか向こうに見えるチャンドラギリの寺院群

お寺を出ようとした時に、声をかけてきたインドのおじさんがいました。

どうやらキャンプで一緒だったようで、私たちを先ほどの寺院で見かけて思い出したらしい。

インドの人は、とてもフレンドリーでニコニコとどこから来たの? 案内してあげようか?とか話しかけてくる。繁華街や街中では、この類の人にはチョー気をつけなきゃいけないけど、そんな風には見えない。

クマールさんに話しかけている白い衣服を着た親切なおじさん

親切にも次の目的地チャンドラギリの寺院を案内してくれるという。ジェイン(ジャイナ教徒)は、正直で信頼が高いので、安心して案内をお願いすることに。

チャンドラギリ

苦労して上った階段をまた614段降りて、街中を横切り、同じようにまた山を登っていくと、山頂には瀟洒な感じのチャンドラギリの寺院群がありました。

チャンドラギリの寺院群は、歴史的建築価値が高いのだそうです
寺院の中はディガンバラなので裸の像がいっぱい。黒光りした像の前で、似たような頭のタケちゃんは笑顔いっぱい! 衣服は着けてます。
寺院を出ると、大昔に僧たちが瞑想をしたという岩を掘って作られた洞窟がありました。
洞窟の中にあった足型の神聖なるシンボルに拝礼をおこなう坂本先生
2000年前に思いを馳せながら、私たちも洞窟で瞑想をしました。中は10名以上が座れるほどの広さです。
チャンドラギリの帰りの階段は、わりに緩やかだったので楽勝♪

フレンドリー&カインドおじさんは、近くのディガンバラ寺院にちょうどムニ(お坊さん)が滞在しているので、次はそこへ連れて行ってくれるという。なんとありがたい申し出! 

2018年のツアーはキャンプではなかったので、私は参加しなかったのですが、ディガンバラのムニに出会えたという話を後から聞いて、とても羨ましく、後から参加すればよかったと歯ぎしりしました。なにも歯ぎしりまでしなくてもいいのにね(汗) ぜひぜひ会いたいと願っていたので、「念ずれば通じる、願いは叶う」ことを実感。

ディガンバラのムニ

はてさて、初めて出会うディガンバラ(裸行派、空衣派)のムニ(僧)は、どんな人なんだろうと、期待に胸を膨らませて、フレンドリー&カインドおじさんの後をついていった私たちでした。

宗派によって若干の差がありますが、乾季の間は二人一組になってムニたちは街から町、村と1~2週間ごとに巡礼をするのだそうです。

寺院の中に入っていくと低めのテーブルのようなところに座布団もなく座っているムニがいました。

お尻は痛くないのだろうか・・・と余計な心配をする。

ムニにご挨拶をして、頭に祝福を受ける坂本先生

眼光鋭く、暑く乾燥した地域なのにお肌はつやつやと浅黒く、こちらはやや緊張しながら謁見する。

威厳が漂い、高貴な精神の持ち主のオーラを放っており、そこはかとなく人や自然や万物に対する平等な愛を感じさせるのは、さすが修行を積み、全てにおいてピュアであることを証明している。

裸のムニを前に、最初どこへ目をやっていいやら少々戸惑ったが、要らぬ心配である。ガン見したわけではないが、自然に結跏趺坐で座るその姿は、裸ということを全く感じさせない。

私たちの質問に丁寧に答えてくれました。

ムニの右に見える白い柄は、ジャイナ教では必須の箒。(Rajoharan)。自分が歩いたり座ったりするときに、虫を踏みつぶさないように、掃いてから座る時に使用する箒で、なんと孔雀の羽根で作られているそうです。触らせてもらいましたが、なんとも優しく柔らかな肌触りで、うっとりするくらいの気持ちよさです。孔雀の羽根でできているとはいえ、アヒンサー(不殺生)が第一教義だから孔雀から羽根をむしったりしません! 自然に抜け落ちた羽根を集めて作るのだそうです。あまりに柔らかな箒に感激して、写真を撮り忘れました。

テーラパンタ派ではサドヴィ(尼僧)が糸10本を撚り合わせたものを何本も合わせて、箒の先の部分を木の棒に巻き付けて作ります。

でも、ディガンバラは女性は解脱できないという理由から尼僧はいません。裸の尼僧さんが居たら大変だよね(汗)

テーラパンタ派の箒

念願のディガンバラのムニにも会え、お話もいろいろ伺うこともできて、とても素晴らしい時間でした。寺院を辞してから、ふと振り返ると、ムニが寺院の外の階段に出ていたので思わず手を振るとにっこりと微笑んで手を振ってくれました。私は満ち足りた気持ちでいっぱいになり、まさにシャンティ、シャンティ、シャンティ(平穏・心の平安・静寂)の境地。その笑顔が今も忘れられません。

コロナ禍の中、この私も気持ちの高揚を失い、やっと3年がかりで2019年の瞑想キャンプ旅行記を書き上げることができ、肩の荷が下りました。忘れていることが多いかなと思いましたが、次から次へと記憶が蘇り、それだけ印象的なことがいっぱいあったということですね。そして今回私が怪我を負ったまま参加して、みなさんには本当にいろいろお世話になり感謝に堪えません。心よりお礼を申しあげます。

来月11月からの第21回国際瞑想キャンプへ出発する日が近づきつつあります。今度はどんな出会いと学びとハプニングがあるでしょうか。今からとても楽しみです♪

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

帰国したらまたご報告しますね。今度は早くUPできるようにします(苦笑)

2022年10月5日 

まちこ・dyvia 



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