インド瞑想の旅その5 瞑想キャンプの1日

キャンプの朝は、早朝5:30から野外の瞑想から始まります。
担当はPh.D Ranjit Dugar(ランジット ドゥガール博士)大学の哲学科の先生です。
寝坊しては大変なので、寝る前に目覚ましをセット・・・でも、実際には目覚ましは必要ありません。
5:00になると近くのイスラム寺院からスピーカーを通して凄まじい大音響が響いてきます。
「アッラー・アクバール」(アッラーは偉大なり)という祈りと鐘や太鼓の賑やかさを通り越した音は目覚ましにピッタリ!
それはインド中の早朝の街に響き渡るのです。

朝一番の瞑想は、アチャリア・トゥルシーを祭ってある大理石のドームの下で行われます。

アチャリア・トゥルシーを祀る大理石のドーム

アチャリア・トゥルシーを祀る大理石のドーム


ドームの下で早朝の瞑想

ドームの下で早朝の瞑想

まだ日が昇る前で戸外は暗く、砂漠地帯は寒暖の差が激しいため、朝はとても寒いので、みんなダウンやフリースを着込んで望みます。
目を瞑り呼吸を深くし集中していくと、そのうちイスラム寺院からの大音響や遠くから聞こえる汽車の汽笛、暁烏のカアーカアーという鳴き声がはだんだんと気にならなくなります。

今回の1日のスケジュールは、朝5:30から22:00までビッシリ!
以前は確か21:00か21:30だったんだけどなぁ?!?
初めて参加する人たちは大丈夫だろうかとちょっと心配です。

朝一番の瞑想が終わった頃には、日が昇り辺りは明るくなります。
6:20~6:40はGaman Yog(ガマンヨグ)と言って歩く瞑想。
まぁお散歩ですね。
お散歩といっても歩く瞑想ですから、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしながら歩いちゃいけません。
初めて参加した際に、キョロキョロしながらおしゃべりしていたら、「Be Silence!」と信者スタッフから注意されたことがありました。(^_^;)
朝のお散歩でセンターの本部がある建物まで歩いていき、アチャリア(最高指導者)へ朝のご挨拶。

アチャリアに朝のご挨拶に集まった信者たち

アチャリアに朝のご挨拶に集まった信者たち

ご挨拶が終了したら、6:45~7:45「Yoga」です。
2007年にYogaを教えてくれたのは、インドの国立Yoga大学の卒業生という若くて美人の先生。
2009年はサマニ(サドヴィ=尼さんになる前の段階)。
今回の先生は男性で、とても人柄の良さそうなMAHAVEER Prajapatという名の先生。

ヨガの先生 始動し始めて8年だそうです

ヨガの先生 指導を始めて8年だそうです


日本人メンバーのうちのほぼ全員がYogaの指導者だというのを知っていたのか知らないのか。
彼が最初にやったのは、軍隊の兵隊さんがやるようなジャンプして、手足を広げたり閉じたりというもので、ちょっとビックリしました。
案外、インドでのYogaは体操的な部分があるかもしれません。
台湾や中国のようにインドでも、朝の公園等では、それぞれ自由に体を動かしている人々が結構います。
形をとるだけのYogaだけではなく、いろんなことを教えてくれ、朝日を浴びながらの楽しい時間でした。

Yogaが終わって、7:45~9:00は「Bath&breakfast」とスケジュール表に書いてあります。
インドの人は朝にシャワーを浴びるのでしょうか?
そういえばバスの窓から、朝に家の外で水浴びをしている姿はよく見ます。
朝シャンってやつ?
そうか朝シャンはインドが発祥の地なんだ?!?

9:00~9:45「レーシャ・ディアーナ」=霊的色彩光を知覚する瞑想 
担当:Muni Jaykumar(ムニ・ジャイクマール)日本人の講義をいつも担当してくれるとても透明な清らかさのあるお坊さんでヨガの達人です。

大好きなムニ ジャイ・クマールさん

大好きなムニ ジャイ・クマールさん


9:45~10:30「アヌプレクシャ」=沈思黙考と自己暗示
担当:Samani Shreyaspragya(サマニ シュレヤーサプラギャ)ちょっと近寄りがたいクールビューティで、写真を取りにくかったから残念ながら写真はなし。
10:45~11:15「マントラ・メディテーション」=マントラを唱えながらの瞑想法
担当:Sadhvi Vishrut Vibha(サドヴィ ヴィシュルット ヴィッバー)
サドヴィはグループで活動します。可愛いサドヴィたちと。

サドヴィはグループで活動します。可愛いサドヴィたちと。


11:15~12:00「カヨウッサグ」=完全なる体のリラクゼーション
担当:Samani Sambodhpragya(サマニ サンボードプラギャ)お茶目な感じでよく指導中に同行の年下のサマニと何やらおしゃべりしてたっけ。
12:00~13:30 Lunch&休憩
食堂まで少々距離があるため、ランチ終了後もそれほどゆっくりはしてられません。(^_^;)
13:30~14:15「マンガラ・バーバナとディスカッション」この時間楽しかった! 
担当:Muni Jaykumar 再登場!
14:15~15:00「プレクシャ・メディテーション」
担当:Muni Kishanlal(ムニ キッシャンラール)私が一番尊敬する、オーラ満載の達人
そばに寄っただけでエナジーを感じるお坊さんです。

15:00~15:20 休憩  やっとこさ休憩時間です。毎回、センターの中にある大きな木の下にある喫茶店?!?でチャイをいただきました。

ティータイムに行ったカフェ? ここでいつもマサラティを飲みました。

ティータイムに行ったカフェ? ここでいつもマサラティを飲みました。

15:35~16:00 今の最高指導者アチャリア・シュラーマンのもとで大ホールにて信者の人達と瞑想
16:30~17:15「カヨウッサグ」これまたヨガの先生再登場 気持ちのいい時間でした。
17:20~19:00「Dinner&Gaman Yog&free time」この時間の中で、そそくさと夕食を摂り、センターの門の外のバザールへお買いものにお出かけしたり。
時間がなくて、次の講座に遅刻しそうになり、走った、走った。ゼイゼイ。
19:00~20:00「Theory of Preksha Medtation」哲学の先生Ph.D Ranjit Dugar再登場! 
朝に夜にと大忙しです!
20:00~21:00「Anotomy&Preksha Medtation」プレクシャ・メディテーションと体との関係
担当:Dr.Pradyumn Singh この先生背が高くてイケメン! しかも講義内容はPCを使って、わかりやすくとっても興味深々な内容。楽しみな講義でした。

肩の力の抜けたナイスな先生です

肩の力の抜けたナイスな先生です


21:00~21:45「Introduction to Jyainism」ジャイナ教について
担当:Samani Chaitanyapragya サマニやサマンはPCを扱う事ができます。この授業のパージは、サマニが作成したと聞いてビックリしました。
21:45~22:00「Pratikraman Yog」
担当:確かSamaniだったような気がする・・・。

もうこの頃になると、ヘトヘトで眠いのも手伝い、メモも碌にとってない(ーー;)
22:00になってようやく1日のスケジュールが終了。
部屋に戻ってシャワーを浴び、バタンキュー! お疲れ様でした。おやすみなさい。ZZZ
まだまだ先は続きます。
乞うご期待!
To be continued!


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

インド瞑想の旅その4 プレクシャ・ディヤーナとジャイナ教

さて、イケメンの後継はさておいて、砂漠の中をバスに揺られ、日没後暗くなってラドヌーンへ到着。
ラドヌーンの街外れに ジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティと呼ぶジャイナ教のセンターがあり、その広大な敷地の中には、センターのオフィス、大学、図書館、博物館、集会や説教のための大ホール、僧侶の滞在施設、信徒の宿泊施設、瞑想道場などがありテーラパンタ派の本拠地になっています。

本部の建物

本部の建物


博物館の扉前

博物館の扉前


古くからあるセンターの建物

古くからあるセンターの建物

ここを訪れる度に新しい建物が増え、整備され、どんどんきれいになっています。
ブーゲンビリアだけでなくいろいろな花が咲き、芝生があるところは、水を受け緑色に輝き、リスや犬と同じように普通に孔雀がいます。まさに楽園。

普通に孔雀がいます

普通に孔雀がいます

私たちが1週間お世話になる宿泊施設は、4年前と同じゲストハウスです。懐かしい。

ゲストハウスはベットが二つに、トイレとシャワーがあります。

ゲストハウスはベットが二つに、トイレとシャワーがあります。

なんとルームクリーニングをしてくれていた男の子と再会。嬉しくなって覚えているかと聞いいたら、恥ずかしそうに首を振ったような・・・気がした。彼はもう青年になっていました。

4年前少年だった彼は青年になっていました。

4年前少年だった彼は青年になっていました。

部屋に荷物を解いて、翌朝からいよいよ瞑想キャンプのスタートです。

が・・・その前に私たちが勉強している「プレクシャ・ディヤーナ」とは何ぞや?
「ジャイナ教とは何ぞや?」というところから始めないとわかんないね。

ジャイナ教は仏教とほぼ同じ時代、同じ地域に生まれた宗教で、仏教と多くの共通点があります。
シャカと並び称される聖者バガヴァン・マハヴイーラによりジャイナ教は開かれました。
ジャイナ教ののジナとは自分に打ち勝った勝利者、煩悩に打ち勝った解脱者のことです。

左がマハヴィーラ

左がマハヴィーラ

戒律が大変厳しく、2、500年経った今でも、お坊さんや尼さんは昔と同じように、戒律を守りながら生活しています。輸送機関に一切乗らず、裸足で徒歩により移動するため、仏教のように世界へ広がることはありませんでした。21世紀の今では、残念ながら仏教はインドの国では衰退してしまいましたが、ジャイナ教はインド国内でしっかりと生き残っています。

おおざっぱにいうと白衣派と空衣派(裸行派)があり、白衣派は白い僧衣をまとっていますが、裸行派(ディガンバラ)はアッパリグラハ(無所有)を徹底するため僧衣さえまとわず、つまりスッポンポン。インドのTVニュースで見たことがありますが、道を歩くのも、しつこいようだけど、本当にみごとにスッポンポン! 残念ながら私はディガンバラ派のお坊さんには、お目にかかったことがありません。女性は解脱できないということで、女性の僧はいませんが、いたら大変なことに・・・。
白衣派で偶像崇拝をしないテーラパンタ派に、私たちは瞑想を学んでいます。(よかった僧衣を着ていて・・・)

その瞑想法は「プレクシャ・ディヤーナ」といい「知覚瞑想」という意味です。
1975年にテーラパンタ派の10代目最高指導者だった故アチャリア・マハプラギャが、みんなにわかりやすく、誰にでもやりやすいように、整理して構築された瞑想法です。

普通、禅寺などで座禅を組んで半眼になり「無になれ! 考えるな!」と教えてくれます・・・が、実際そんな難しいことは、素人には無理ですよね。
私も座禅を何度か組んだことがありますが、半眼にして「見るようで見ない」しかも「寝ない」ということがまず無理。寝ちゃう。zzz どーしても寝ちゃいます。睡魔に襲われ、身体がぐらっとして、寝ていたのがバレちゃう。
直堂と呼ばれる監督者が回ってきて、肩を警策(修行者の肩ないし背中を打つための棒)で打ってくれます。
いつだったかヨガの先輩でもあり、友人のマツ○○さんは、その警策で肩を打ってもらった時に、「もっと強く、もっと叩いて!」と禅寺の住職に、肩こり解消代わりに頼んでいたことがありました。ご住職はそれに応えてビシバシ打ってくださいましたが、ホント申し訳なかったけど、笑えた。(苦笑)
ま、考えるなと言われても、頭の中でいろんなことが、ぐるぐると駆け巡って、座禅を組んだときは、いかに思考を止めることが難しいかを学んだのでありました。ハイ

この知覚瞑想法というのは、最終的には「サマージー 本当の自分に出会う」という目的があります。
最初はまずすべての力を抜くカヨウッサグから始まり、背骨に意識を集中してエネルギーを通すアンタルヤートラ、呼吸に集中するシュバーサ・プレクシャ、身体を知覚するシャリーラ・プレクシャ、霊的中心点ケンドラ(ヨガではチャクラ)を知覚するチャイタニア・ケンドラ・プレクシャ、霊的色彩光を知覚するレーシャ・ディヤーナによって、各々集中をすることにより、瞑想を深めていきます。
ここまでは考えない瞑想法。
唯一、考える瞑想法もあります。それがアヌ・プレクシャ。自分の潜在意識に向かって、こうなりたいという願いを心と体にしみこませるようにして自らを高めていくのですよ。願いといっても、お金持ちになりたいとか、異性にもてたいとかはナシね。

次号ではいよいよキャンプでのお話をしますね。
乞うご期待!
To be continued!


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

インド瞑想の旅その3 宮殿ホテルに泊まる2

*前回の訂正があります。
宮殿ホテルがあったのは、ルニではなくロハトという町でした。
ホテルの名前はROHET GARH(ロハト ガル)。
GARHはお城という意味で、ロハトのお城・・・分かりやすい。

さて、旅の4日目は次の町に移動しながらお寺を見学です。
まずはヒンズー教のお寺。
平日というのに参拝客でいっぱい! 
入り口で靴を脱ぎ、上へ上へと続く階段を上がっていきます。

ヒンズー教のお寺は、天へ向かうような長い階段がありました。

ヒンズー教のお寺は、天へ向かうような長い階段がありました。


ヒンズー教のお寺で出会った親子。魅惑的なママでした。腕輪がすごい!

ヒンズー教のお寺で出会った親子。魅惑的なママでした。腕輪がすごい!

そこはいかにもインドらしい雰囲気で、人が多いのと、雑然、混沌、喧騒、きらびやか。
トイレは昔ながらにドアもなく、床が何の水分かわからないけど、ネトッと濡れていました。
このくらいで怯んでいちゃあインドは行けないね。

インドでの履物は、ビーチサンダルに限る。
寺院や家の中に入るときは、履物を脱ぐため、靴下も履かない方が便利ですが、乾燥しているため、長い滞在の場合、人によっては踵などが割れてくる可能性もあります。
いつだったか、同行者の踵が割れて血がにじむという恐ろしい光景に遭遇したことがあります。
だからクリームをたっぷり塗って、汚れてもいいような五本指靴下を履くと良いですよ。

次に訪れたのが、ジャイナ教のお寺。

卍を逆にしたようなマークがジャイナ教の印

卍を逆にしたようなマークがジャイナ教の印


ジャイナ教徒はインドの人口のわずか0,5%ですが、殺生を避けるために、農業や漁業、林業などの職にはつかず、金融や宝石関係など商売をしている人が多いそうです。
ジャイン(ジャイナ教の信者)というだけで、とても信用度が高く、商売もそれだけ順調で、経済的に裕福な人が多いとか。
インド経済界の有力者も結構いるらしい。会ったことないけど。
街を歩いていても、ジャインのマークをつけた家はとても立派でお金持ちそう。
さらに戒律の一つにアッパリグラハ(無所有)があり、寄付や喜捨が多いので、ジャイナ教のお寺はとてもきれいで立派。
ジャイナ教では偶像崇拝する派としない派があり、偶像崇拝派は寺院があり、ジャイナ教始祖マハビーラの像もあります。
極彩色のレリーフでマハビーラの一生が描かれてあったり、さらに壁にそれを描いている美術家?芸術家?アーティスト?がせっせと筆を動かしていました。
マハビーラの一生を描いているアーティストは有名な人らしい

マハビーラの一生を描いているアーティストは有名な人らしい


ジャイナ教の寺院

ジャイナ教の寺院


なぜか寺院の中で、白いヤギのファミリーがいました。

なぜか寺院の中で、白いヤギのファミリーがいました。

インドの人たちの信仰の篤さを実感し、バスは2番目の宮殿ホテルへとキムサールを目指します。
バスが到着したところは、広い平原のド真ん中に、ドッカーンと大きく立派で、見るからに「お城!!!」という建物。
みんなでバスを降り、周りを見渡して「うわー」「へえー」「ほおー」と、感動し唖然としたときは「ハ行」が多いようです。
Khimsar Fortという名のホテルで、Fortは砦だから「キムサールの砦」・・・西部劇の題名みたいだ。

この建物は、この宮殿の持ち主のマハラジャのお住まい。 ホテルはまた別です。

この建物は、この宮殿の持ち主のマハラジャのお住まい。 ホテルはまた別です。


屋上からホテルを撮影。これほんの一部分。

屋上からホテルを撮影。これほんの一部分。

エントランスの近くのガラス張りのショールームのようなところには、この宮殿ホテルの主であるマハラジャのマイカーなのでしょうか。ロールスロイスをはじめ、ベンツ、ジャガー、ポルシェ、その他、ピッカピカの外車(タタ車は残念ながら1台もなかった)が、8台くらい並んでいて、まるでプチ自動車見本市みたい。
写真を撮り忘れたのが残念。

このホテルこはさらに立派なプールがありました。

キレイで大きくて立派なプール

キレイで大きくて立派なプール

ひと泳ぎしたあと、プールサイドの芝生が気持ちよさそうだったので、調子に乗って水着のままアサナをやりました。

足揚げアーチのポーズ

足揚げアーチのポーズ


お粗末様です。└(・_・;)┐

夕食後は、篝火を炊いた庭で、ラジャスタン地方にいるジプシーたちによる、ダンスと音楽を見物。

ラジャスタン地方のジプシーの踊り

ラジャスタン地方のジプシーの踊り

一昨年、ジャイプール近郊のテーマパークや、ジャイサルメールの砂漠でラクダに乗ったときに出会ったジプシーも似たような衣装や踊り方だったので、この地方独特なものなのでしょう。

この子はとってもかわいい子でした。 刀の歯の上に乗っているんですよ。

この子はとってもかわいい子でした。
刀の歯の上に乗っているんですよ。


ジプシーダンサーの女の子は、小柄で目がパッチリしたとても可愛い子。
しかも非常に体が柔らかく、アーチのポーズもなんのその。
刀の刃の上に乗ったりとやんややんやの大喝采!
「踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃソンソン」とばかり、最後はみんなも参加して一緒に踊り、これまた楽しさ倍増。
でもぐるぐる回って目が回りました。

翌朝、朝食をとりに行くと、朝日がステンドグラスを通ってレストランを美しく彩っていました。

ホテルのレストラン。朝日がステンドグラスを通してとてもきれいでした。

ホテルのレストラン。


私の部屋もステンドグラスがあり、朝はとても幸せな気分でしたよ。

このホテルで贅沢な気分を満喫した私たちは、最終目的地のラドヌーンを目指して移動。
途中、今は使用されていない宮殿を見学しました。
広大な土地に、マハラジャ専用のプールだとか、ハーレムに住む何人もいるお妃や女性たちのプールがあり、遠い昔はさぞや豪華絢爛、きれいだったことだろうと思いを馳せます。

ハーレムの女性たちをたくさん侍らせながら、泳いだであろうと思われるマハラジャ専用プール

ハーレムの女性たちをたくさん侍らせながら、泳いだであろうと思われるマハラジャ専用プール


ここはそのうち宮殿ホテルに生まれ変わるのでしょう。みんなでホテルに改築されたら、泊りに来たいねと話し合いましたが、いったいいつになるのかな?
ここのマハラジャの系譜が壁に飾ってありましたが、現在の主の跡継ぎの写真を見るとすごいイケメン!!! 修正なしかな?!?(~_~;) 
父上はそれなりだから、きっと母上がチョー美人なんだろうな。
右が跡継ぎの長男でしょう。イケメン

右が跡継ぎの長男でしょう。イケメン


だれか私の知り合いの独身女性で頑張る人いないかしらね? そうしたら遊びに来るのに。

どんな人が彼のお嫁さんになるのだろうかと、どーでもいいことを考えながらバスに揺られ、真夜中近くになってようやくRADNUNへ到着しました。
インド人に聞いても知らない人がいるくらい・・・田舎です。
2年ぶりで、訪れるのは3回目。私を幸せな気分にさせてくれるラドヌーン。
いよいよ明朝から国際瞑想キャンプのスタートで、これからが本番。
乞うご期待!
To be continued!


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

 

インド瞑想の旅その2 宮殿ホテルに泊まる1

今回のラドヌーンでの国際瞑想キャンプにかかる分は、すべてインドジャイナ教テーラパンタ派本部からの「ご招待」でした。
スゴイでしょ? 招待ですよ。「ご招待!」
その分をちょっと豪華にということで、貴重な観光の3泊は、宮殿ホテルに宿泊することができました。
きゃぁ~嬉しい。バンザーイ!!!
一昨年、マンダワでも宮殿ホテルに泊まりましたが、その時の私の部屋は、部屋の中にブランコがあるというサイコーのお部屋だったんですよ。

2011年に泊まった宮殿ホテルは、部屋の中にブランコがありました。

2011年に泊まった宮殿ホテルは、部屋の中にブランコがありました。

今回、最初に泊まった宮殿ホテルは、ロハトという町のこじんまりとした居心地の良い「Rohato Garh」ロハト・ガルという名のホテルでした。

このプールで私も泳ぎました。

このプールで私も泳ぎました。

朝はホテルの中庭で毎朝、日の出前からヨガをし、他のヨーロッパ系の宿泊者からは、珍しそうに見られましたが、朝日を浴びてのヨガは気持ちがいい!
ヨガを終えたところで、オーナーの息子さんが朝の乗馬からお帰りになられたところに遭遇。
やっぱりセレブは違いますね。朝のお散歩は乗馬ですよ・・・乗馬。
この地方の馬は耳に特徴があり、ピンと平行に立っています。
この馬はマールワールという種なのだそうです。

セレブの朝は、乗馬から! 馬のお耳に特徴がありました。平行にピンとたってかわゆい。

セレブの朝は、乗馬から! 馬のお耳に特徴がありました。平行にピンとたってかわゆい。

なんと! 同行したメンバーの部屋の窓から、ガラス越しに馬の厩舎がそのまま見えました。
ということは、馬が部屋の様子を見ることができるということ?

部屋のガラス窓の向こうは厩舎

部屋のガラス窓の向こうは厩舎

この街の出身だというホテルのスタッフが街を案内してくれ、昔から代々、靴を専門に作っている家に伺いました。
その家では、靴以外にサリーやベットカバーなども作っています。

靴を作るのが代々の仕事

靴を作るのが代々の仕事


作っているのは靴以外にもサリーやベットカバーやいろいろ

作っているのは靴以外にもサリーやベットカバーやいろいろ

サリーを着せてもらいました

サリーを着せてもらいました

インドでは各家族はあり得ず、3世代どころか、兄弟のその家族や親戚一同、大家族がひとつ屋根の下で暮らします。
その家もおじいちゃんがゆりかごに眠る孫を、その赤ちゃんのお姉ちゃんと思われる女の子と一緒に、面倒を見ていました。
日本も昔はそうだったんだろうけど、インドでは兄弟姉妹をはじめ家族がお互いに小さな赤ちゃんや子供の面倒を見ています。
家族って良いなぁ。

おじいちゃんはゆりかごで眠っている孫の面倒を見ていました。

おじいちゃんはゆりかごで眠っている孫の面倒を見ていました。


赤ちゃんを抱っこさせてもらいました。

赤ちゃんを抱っこさせてもらいました。

村の小学校にも訪問させてもらいました。
ちょうど昼食時でしたが、お弁当を持ってきた子が、兄弟やお弁当を持ってこなかった子らと3~4人で、みんなで分け合って食べるのだそうです。

学校にランチ時におじゃましました。みんな可愛い

学校にランチ時におじゃましました。みんな可愛い


こうして小さい頃から、みんなで分け合う気持ちがあれば、人のことを思いやれる人になるでしょうね。
インドの子供たちは、目がキラキラしていて、好奇心いっぱい、恥ずかしがり屋さんもいて、本当に子供らしい子がいっぱいで可愛いくてたまりません!
村の3人兄弟 いい笑顔です。

村の3人兄弟 いい笑顔です。


不思議な魅力を持った少女

不思議な魅力を持った少女

街を案内をしてくれたホテルスタッフの彼は、12歳を頭に3人の男の子の父親です。
私の拙い英語で会話をしたところ、英語を話せないのは奥さんだけで、子供たちは3人とも英語を勉強しているとのこと。
きっと英語を勉強するというのは、この街ではステータスで、将来が約束されているのでしょうね。
がんばれー!

お世話になったホテルスタッフSesaram Goyalさん

お世話になったホテルスタッフSesaram Goyalさん

午後はジープに乗って砂漠へサファリに出かけ、その地方では、神とされているHeeranヒーランという鹿がおり、茶色の模様のしなやかな鹿をジープで追いながら、観ることができました。

ヒーランという名の鹿は、ビシュヌイ族の神様です

ヒーランという名の鹿は、ビシュヌイ族の神様です

ヒーランを観察後、29の戒律を守りながら、21世紀の今でも昔ながらの暮らしを続けているBishnoiビシュヌイ族の人々が住む村を訪問。
訪れた家の家長は、私をコーフンさせました。
「これぞインドの家長!」というオーラ発するおじいちゃん。
お姿といい、牛乳瓶の底のようなグルグルの度の強いメガネをかけているのですが、メガネ拭きがないのか、エライ曇っています。む、む・・・見えているのかな?

家長としての威厳と誇り とても魅力的なおじいちゃんでした

家長としての威厳と誇り とても魅力的なおじいちゃんでした


ビシュヌイ族の村の家長とともに

ビシュヌイ族の村の家長とともに

このまた奥様であろう方が、またチョーイケてる。
鼻輪がカッコ良い!
財産を全て身につけているインドの女性たちは、これでもか!というほどに腕輪、足輪、首輪、鼻輪をつけています。
若い頃はかなりボインだったろうと思われる胸は、今では重力に逆らえず、しかもこの日差しの強い乾燥した気候のもとで、私のお肌のごとく、ちりめんじゃこ状態でした。(^_^;)

右が家長の奥さん? 左は娘さんかお嫁さん?

右が家長の奥さん? 左は娘さんかお嫁さん?

私が感動したのは、この村の家長とその妻だけにとどまらず、この21世紀に未だに土饅頭のような牛の糞を固めた家に住み、雨が降らないために戸外に簡単に編んだだけのベットで眠り、電気もガスも水道も、もちろん電話もTVもない生活をしている人々がいること自体が私を感動させました。
良いなぁ~。
細かくつまらないことなど拘っている暇もなく、彼らの1日、1日はとても充実しているんだろうなぁと想像します。

次に訪れたのが、祭礼や儀式でアヘンを使うバラモンの村。
とある家屋に入ると、そこに数人の男性が並んでいましたが、一番右に座っているのはサドゥーか?!?
この人も私をヒットさせましたね。(^_^;)
このサドゥもなぜか曇ったメガネをかけていましたが、ひょうひょうとした雰囲気で、いかにも「世俗とは僕・・・関係ないの」という雰囲気漂う年齢不詳のおじさん。

ずっと無表情だったのは、悟っているから?!?

ずっと無表情だったのは、悟っているから?!?

アヘンをすり潰し水に溶いて漉した茶色い液体を、バラモンの村の祭礼を司るおじさんの手のひらから直接、3回で啜ります。
一応、水で手を洗うのを目の前で見ましたが、このおじさんいつ石鹸で手を洗ったのか?などと考えてはイケマセン!
神聖な儀式の再現なのですから・・・。
3回ですすったそのアヘンの薄まったものは、なんだか牛蒡のような香りと味がしました。
アヘンの効果があるのかとみんなで期待しましたが・・・ちっとも、なぁ~んともなかったのでちょっと残念。

夕日が落ちつつある砂漠をまたジープに乗ってホテルに戻ります。
砂埃がすごくて、それでなくともインドでは都会でも田舎でもマスクが必要。
山ほど持参したマスクがとても役に立ちましたよ。

ルニに2泊したあとは、キムサールへ移動。
そこでも次なる宮殿ホテルに宿泊しました。
次回乞うご期待!
To be continued!


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

 

インド瞑想の旅その1・・・発展するインド

10月13日~26日まで、4度目のインドへ行ってきました。

始めてインドへ行ったのは2007年11月。
坂本先生が「インド瞑想研修の旅」に行くと言うので、20代からインドにあこがれていた私は飛びつきました。
「行く、行く、行くぅ~。絶対行きたい!」
単なる観光では行きたくなかった私は、20数年を経てようやく念願だったインドに呼ばれて訪印を果たしたのでありました。

「行く、行く」は良いけれど、それまで瞑想をちゃんとやったこともなかった私は、出発前に付け焼刃でジャイナ教の瞑想法「プレクシャ・ディヤーナ」を学ぶことになりました。
そこからだね。私の瞑想人生が始まったのは。
んんん? ダレ? 「迷走人生」って言う人は・・・。

とにもかくにも4度目のインドは、発展目覚ましく、初めて訪れた6年前のインディラ空港は、薄暗くて、とてもきれいとは言い難く、東南アジアによくありがちなねっとりと湿った空気が漂い、出国手続きを終えて、ドアを出た途端、柵には「人、人、人・・・」
ぎゃぁ~なんだこの人たちは!
迎えに来ているわけでもなく、よく東南アジア系の飛行場でよく見かける、時間つぶしに海外から来る外国人を見に来た人達・・・だったのでしょうか・・・?
建物を一歩出れば、道はガタガタ、埃っぽく、蒸し暑く、「うーんインドだ」と妙な納得をしたものです。
それが一昨年、ピッカピカのきれいな飛行場にリニューアルされ、度肝を抜かれました。
今回はさらに大きく、しかもグレードアップして、トイレも水洗、ペーパーもあるし、お店もすごい充実していて、成田と変わんないじゃん。
すげえキレイ!と感激しつつも、私のインドはどこ行った?!?

きれいになったインディラ・ガンディー国際空港

きれいになったインディラ・ガンディー国際空港

インディラ・ガンディー国際空港の外

インディラ・ガンディー国際空港の外

真夜中に着いた私たち一行は、飛行場に近いホテルで一泊し、翌日はまた国内線で、今もマハラジャがいるというラジャスタン州へ発ちました。
小1時間のフライトでブルーシティと言われるジョドプールへ。

メヘランガル城は3度目。
ここから眺める街は、建物が青色に塗られています。
ちなみにジャイプールはピンクシティです。

お城から眺めるブルーシティ

お城から眺めるブルーシティ


メヘランガル城 635

メヘランガル城の内部 マハラジャの謁見室

メヘランガル城の内部 マハラジャの謁見室

城内でターバンを巻くショウでは、前回より若いお兄ちゃんに代わっていて、世代交代がここでもありました。

このなが~いターバンの布を頭に巻いていく

このなが~いターバンの布を頭に巻いていく


2013年のターバン巻の青年 

2013年のターバン巻の青年 


2011年のターバン巻のおじさん

2011年のターバン巻のおじさん

城塞の壁の穴を覗くと「コウモリ」が逆さに穴の中でぶら下がっていました。
こんなに近くでコウモリの顔を見たのは初めて。

メヘランガル砦のこうもり

メヘランガル砦のこうもり


今回は「蛇使い」がいなかったのが残念。コブラの頭を撫でたことあります。
その後、お金は貯まらなかったけど。(^_^;)

城までは長い坂道が続きます。
疲れちゃった人や足の弱い人のために、リキ車や駱駝タクシー?があります。
この駱駝は一昨年とおんなじ駱駝かしら?

駱駝タクシー

駱駝タクシー

インドへ来るたびに観光地で感じるのは、年々インド人の観光客が増えていること。
6年前は外国人が多かったのに、最近は家族や学校の修学旅行なのか、小学校から中学校くらいの子供の団体が多いこと多いこと。
それと多いのが家族連れ。
年老いた親の手を引いている姿を見るのは、見ていて本当に心温まります。
やっぱりインドの人たちに、余裕が出てきたということですね。

ファミリー

ファミリー

次はクロックタワーがあるバザールへ。

クロックタワー

クロックタワー


夕方だったこともあり、買い物をする人でいっぱいで迷子になりそうです。
私はどこの国へ行っても、その土地の人々と暮らしぶりがよくわかるから、バザールやスーパーに行くのが大好きです。
バザール

バザール

今回の目的は、あくまでもジャイナ教のプレクシャ・メディテーションの国際瞑想キャンプです。
スケジュールの都合で、いつもはキャンプ終了後に観光ですが、今回はスケジュールの都合で、キャンプの前になりました。
その観光のお話は次回へ。

To be continued!


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

 

秋の味覚 栗編

あっという間に、夏は過ぎ・・・明日から10月! 
朝晩肌寒くなってきた今日この頃ですが、秋と言えば食べ物が一段と美味しい季節ですネ。
お知り合いから栗をたくさん頂きました。
バンザーイ!

連れ合いが半月に渡る海外ロケから帰国後に、
心優しい妻(自分で言うかな?!?)である私は、
大根おろしたっぷりさんまの塩焼き(それにしても今年がさんまが高い!)、
栗ごはん、日本酒で亭主を労いました。
その時の栗とは、比べ物にならないくらい立派!

今回は栗ご飯の他に、茹で栗と渋皮煮を作ってみました。
栗は鬼皮と渋皮をむくのが大変なのよね。

立派な栗 それもたくさんいただきました♪

立派な栗 それもたくさんいただきました♪

茹で栗は簡単。

これはほんのり塩味

これはほんのり塩味

渋皮煮は渋皮をむかなくて良いので、楽なのですが、
皮をむかない分、ちょっとだけ手間と時間がかかります。
鬼皮をむいたら、鍋に入れて栗が被るくらいの水を入れます。
そこに大根おろしと重曹を入れ、500gの栗に対して沸騰してから10分くらい煮るのですが、
いったん取り出して洗い、同じことを3回繰り返します。
重曹と大根おろしを洗って、一つ一つ、渋皮についている筋や渋皮の厚い部分を
爪楊枝で取り除いたり、軽く皮の部分をこすってさらにきれいにします。
きれいに洗ったら、30分ほど水につけ、
そこから改めて、お砂糖を入れて30分ほど煮ます。
我が家は何でもお砂糖や調味料は控えめですが、
この渋皮煮も甘さ控えめ!

甘さ控えめ

甘さ控えめ

滅多に「感嘆詞」は発しない連れ合いですが、今回は「ウマイ!」のお言葉を頂戴しました。
むひひ

栗ご飯に今回は私が大好きなお揚げさんも入れました。
我が家ではご飯は「かまどさん」で炊きますが、
今朝も少々おこげができておいしそう!

愛用のかまどさん

愛用のかまどさん

おこげ付きの栗ごはん

おこげ付きの栗ごはん

デザートは巨峰です。
巨峰

さぁ~て、次は何にしようかな?

プレクシャ・ディヤーナ 瞑想合宿

奥会津の只見にある「ユイ道場」で行われたプレクシャ・ディヤーナ瞑想合宿「集中講座レベルⅡ」に参加してきました。
8日間の合宿ですが、一気に休みを取ることが難しく、4日間の参加。
一昨年の10月に前半を受講し、昨年は諸事情により中止。あちゃ~(;_______;)
2年という月日が開いてしまいましたが、今回ようやく受講できました。

私が勉強するプレクシャ・ディヤーナという瞑想法は、インドのジャイナ教の瞑想法です。
今から2500年前、仏教と同じころに、ヴァガヴァン・マハヴィーラによってジャイナ教が生まれました。
今から40年ほど前に、ジャイナ教テーラパンタ派のアチャリア・トゥルーシーとアチャリア・マハプラーギャにより、2500年前の瞑想法を再現しつつ、さらに具体的で初心者にも容易にできるよう、判りやすいものへと体系化した瞑想法です。
だから私にもできるんだけどね。えへへ

13日の夜遅くに只見にある、福島県の文化財である「叶津番所」に到着。
ここに「ユイ道場」というヨガ道場も併設されているのです。

アサナもやります

アサナもやります

毎朝5:00に起床し、マントラ斉唱、ヨガ、講義と瞑想実習が21:30まで続きます。
朝は具沢山の味噌汁

具沢山味噌汁とこの日は、特別にバナナつき 豪華!

具沢山味噌汁とこの日は、特別にバナナつき 豪華!

昼は玄米やその他しっかり食べます。

この日は野菜中心のイタリアン

この日は野菜中心のイタリアン


夜は軽めにお蕎麦などの麺類。
具沢山のお蕎麦 夕食です

具沢山のお蕎麦 夕食です

すべて野菜中心で、もちろんアルコールはご法度。うーん我慢、我慢。(汗)

東京は毎日35度近い気温だったものの、ここはまだ梅雨が明けておらず、毎日雨続き。
でも雨の音って、私は好きです。
ここ只見は尾瀬と同じく、山に霧がたちこめた朝は、晴れるといわれています。
3日目の朝は、霧がたなびく中を行き、会津のマッターホルン「蒲生岳」の麓を流れる二つの川の合流点の河原での瞑想しました。

蒲生岳と川の合流点

蒲生岳と川の合流点


川のせせらぎを聞きながらの瞑想は心地よいものがあります。

予想通り、その日は梅雨が明けたかと思うほどの素晴らしいお天気になりました。

梅雨の晴れ間

梅雨の晴れ間

朝の河原での瞑想を終え、癒しの森にハイキング。
青い空に白い雲がぽっかり浮かび、暑くもなく寒くもなく緑の美しいブナ林のハイキングはとても気持ちのいいものでした。

そのあと、佐藤松義さんのお宅を襲撃!

玄関のフクロウ

玄関のフクロウ


古民家を修復して、とてもきれいにお住まいになっています。
床の間に打掛

床の間に打掛


素晴らしいお宅にみんなため息。
松着さん家の前で お邪魔虫達と

松着さん家の前で お邪魔虫達と

レベルⅡの最大のイベント「2時間瞑想」は、思ったより足などの痛みを感じることもなく、
(痛くないわけではないんだけどね(^_^;))、6つの瞑想法を順に行い、最後に7つ目のアヌ・プレクシャをやってたっぷり120分浸り切りました。
これで1時間程度の瞑想は、楽に感じるでしょう。
こういうシチュエーションのもとだから、深く入り込め、集中できたのかもしれませんが、自信に繋がりましたね。

4日間の合宿を終え、日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長である坂本先生から2年かかって頂いたレベルⅡの履修証をいただきました。万歳!

坂本先生から履修証をいただきました

坂本先生から履修証をいただきました

講義、ヨガのアサナ、瞑想の実践、温泉、美味しい食事、茅葺屋根の古民家の宿泊所、自然豊かな環境、山と川、仲間達との楽しい語らい、すべてに感謝です。

 

 


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

 

イタリア奉仕団 その4 瞑想指圧

瞑想指圧とは何ぞや?

5月に来日したイタリアの東北支援ボランティアの沖ヨガのメンバーは、グループ名が「アースヒューマンハーモニープロジェクト」と言い、イタリア政府公認 「沖道密教ヨガ総合自由大学」の卒業生が殆どで、みなさん瞑想指圧の資格を持った人ばかりです。
同プロジェクトは、毎年モロッコへ井戸堀のボランティアに行っているそうです。
今回は東日本大震災の被災地の方々に、瞑想指圧やマッサージなどでボランティアをやらせてもらう目的で来日しました。

ところで「瞑想指圧ってナンだろう」と思うでしょ?
イタリアで沖道ヨガを広め確立させた故沖正弘先生の直弟子の一人の八尋氏が考案したもので、瞑想をしながら被験者の患部に指や手を当てて、気を通すというものです。
指圧の後に、テーピングを施します。
河北新聞にも載った一人のダビデは、そこの副校長です。
一般の指圧というイメージとは少し違うのですが、体験者の感想は、血流が良くなり温かくなって、とても身体が軽くなるそうです。
残念ながら私は体験できなかったのですが、お疲れのマツヨシさんは私がいる間、瞑想指圧といわず、マッサージだろうが、骨ゆらしだろうが、誰かれなく、時間を見つけては、やってもらってたな。
さぞやお疲れのこことお察しいたします。
ごくろーさん。

その日、瞑想指圧後の感動的な場面に私は出会いました。
宮城県石巻から、さらに奥まった被災地の仮設住宅での出来事でした。
一人の女性が、膝が痛くて歩いたり、立ったり座ったりがうまくできないと言うことでした。
まずはどこが痛いのか、どのような状態なのかを聞いて、施術者であるマリアに伝えなければいけません。
日本語で聞いて、英語でピナに伝えて、ピナがイタリア語で施術者に通訳するのですが、その日は2班に分かれたため、英語ができるチエコさん、マツヨシさん、ピナがいません。
その日はじめて東北へ駆けつけて合流した私に戦慄が走ります。
ウ、ウ・・・ど、ど、どーしよう。

ここは「女は愛嬌、まちこは度胸」で、怪しげな英語をトキナリ(八尋氏のご子息・英語少々)に伝え、あとは子供のころ「杉の子劇団」および高校時代に演劇部に所属していた私は、得意のボディランゲージを!
マリアには何とか通じたみたい。ほっ・・・。

瞑想指圧は、施術者が集中を高めるため、大変静かです。
10人以上がそこにいても、実に静か!
ゆったりとした、厳かな雰囲気のなかで行なわれます。

静かに厳かに行なわれる瞑想指圧

静かに厳かに行なわれる瞑想指圧

ところがその日はじめて東北へ駆けつけその場に合流した私は、随分静かだなぁと思いつつ、みんなの様子を見ていると、一人のおばあさんが私にやたら話しかけてきます。
きっと話し相手が欲しいのだろうなと思い、二人でおしゃべりをしていました。
あとで・・・日本人スタッフに注意されました。
「静かに!」 すんません。m(_ _)m

さて、ひっそりとした穏やかな中でマリアは、施術を行いテーピングを終えました。
すると膝の痛みで動きがままならなかった彼女が、すっくと立ち上がったのです。
「あれ?」じぇじぇじぇ!!!
彼女は「信じられない! こんな風にスッと立てるなんてウソのようだ」と吃驚し、マリアと私に目にいっぱい涙を溢れさせ、その感激を話してくれました。

感動のあまり涙する彼女と同じように涙するマリア

感動のあまり涙する彼女と同じように涙するマリア

マリアも判ったのでしょう。彼女自身も目に涙がいっぱい。
私も胸がいっぱいになりました。

感動の一瞬

感動の一瞬

ろくな通訳ができなくても、言葉は通じなくても、心は通じるんですねェ。
素敵な感動的なひと時でした。
「いがった・・・」(東北弁調でどうぞ)

 

 


勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]

 
 

イタリア奉仕団東北支援 その3ランチパーティー

スルメをかじりながらビールを飲んでいるイタリアメンバーに、明朝4時からの朝ヨガに出る?と聞いたら、即No!
そりゃごもっとも( ̄▽ ̄;)
連日のハードスケジュールで彼らもお疲れ。

私も朝が早かったから、バタンキューと布団に倒れ込んだと思ったら、もう起きる時間。
ワォ、早くしないと張先生の朝ヨガに間に合わない、!
顔も洗わず、マットを持ってホテルの芝生に行くと、もう数人が集まっていました。
初めて張先生のアサナにお付き合いする人たちは、だんだんと動くのを止め、呆然と先生のアサナを見るばかり…。
わかるワカル!!
私も初めて、張先生の先生である洪先生のスーパーヨガを見たとき、同じようになすすべもなく、ボーゼンと口を開けて見てたもん(^_^;)
張先生のお弟子さんのMさんが、「じっとしていると体が冷えるから、動いた方が良いですよ」と優しく助言。
こちとら冷えるどころか、上着を脱いで汗だくです。
徐々に朝日がのぼり、太陽の光りを浴びて実に荘厳な気分でソーカイ!
本来ヨガは、日の出の時間に、朝日を浴びながらやるんですよ。

朝ヨガ終えて、さぁ、支援活動にしゅっぱぁ~つ!。
その日、ボランティア先は、元JRの社宅住宅だったという4階建ての、これぞ昭和!という雰囲気の団地の仮設住宅でした。
取り壊す寸前だったのを、仮設住宅にあてたようです。
その2階の窓に日本とイタリアの国旗がたなびいていました。

国旗はためくお部屋で指圧をやりました

国旗はためくお部屋で指圧をやりました

今日は、お昼にイタリアランチを皆さんに食べてもらおうと、ユキが腕をふるいます。

ユキ

ユキ

私とマリア、チエコさんを除いた女性陣は、お料理のお手伝い。
もうひとグループは瞑想指圧とマッサージです。
私もゆるゆるマッサージをやらせていただきました。
背中と首が痛くて夜も寝られず、腰痛もあるためステッキを突いているという男性がいました。
でも身体を触ってみると、凝っているわけではなく、でも明らかに痛みがあり、とても辛そうです。
それはストレスからくる痛みと思われました。
私たちには計り知れない大変な経験をされ、震災による大きなストレスがかかっているのだろうと想像され、ちょっと胸が痛くなりました。

そうこうしているうちに、良いにおいが漂ってきます。
トウモロコシの粉からできているポレンタ、チーズに胡桃を乗せて蜂蜜をトロリ、生ハムやソーセージ、ルッコラやトマトのサラダ、トマトソースのパスタなどなど。

お手伝いの学生さんと一緒にクッキング中

お手伝いの学生さんと一緒にクッキング中

お豆とルッコラサラダ

お豆とルッコラサラダ

生ハムやサラミ、ソーセージを切っていると、横からどんどん手が伸びて、切った端からなくなっていくではありませんか?
きゃぁ~、ちょっと待ってぇ。(◎-◎;)〓 いま、ちゃんと切ってお皿に並べるから!!
お皿に並べるまでもなく、包丁を入れ切れたかなと思うと、もうなくなり、すべてこの調子。
トマトスパゲティの鍋の前は、長打の列となり、スタッフは美味しそうなお料理たちを・・・見るだけ。
.・°(>_<) °・.
よほど美味しかったんでしょうね。

みなさんイタリア料理をいただきながら、お酒も入っていい気分♪
しかもバックグラウンドつきです。
二人の女性がキーボードとケーナで軽快な曲を奏でています。
演奏DSC_1836
この二人はこうやって、各地を演奏ボランティアをして回っているようです。
色んな形のボランティアがあります。

その時は、120人もの方々が集まってくれました。
一緒に食事をして、お酒を飲んで、おしゃべりして。
ひととき、日ごろの煩いごとを忘れて、みなさん楽しそうな笑顔でいっぱい。
私がマーサージさせてもらった男性もカラオケで楽しそう。

カラオケ中♪

カラオケ中♪

スタッフもいろいろ大変ですが、みなさんのその笑顔ですべて報われます。

一通り終わって一休み

一通り終わって一休み

この日のスタッフ

この日のスタッフ

その日は河北新聞社の記者が取材に来てて、瞑想指圧の記事が翌日載っていました。
ダビデは画になるな。

河北新聞に載りました

河北新聞に載りました

 

勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]
 

イタリア奉仕団東北支援 その2 いざ現地へ

11日に成田に到着したイタリア奉仕団はロングフライトの疲れも見せずに、チエコさんとともに盛岡へ。

新幹線を降りるとJTB東北のS氏がお出迎え。

ミニバスに乗って、まずはドンキヘ・・・何でいきなりドンキ?って思うでしょ。

各活動地で、イタリア料理を作って皆様に食べていただくために、パスタ購入。

活動地で美味しいパスタが手に入らないと困るじゃありませんか。

その夜は、回転寿司へ。

東京駅で「Tonight dinner is around sushi」と言ったら通じて、みんな大喜び。

かくしてその夜は、S氏のアイディアである「around sushi」にgo!

翌日、宮古市に追っかけ、車でマツヨシさん合流。

宮古での活動や被災状況を見学し、続々とマツヨシさんがfacebookにupしてくれる。

おお~広報部隊として頑張ってるな。

岩手では、JTB東北のS氏のツアーリーダーぶりに対して、チエコさんは「Sさんの仕事ぶりすごい!」、マツヨシさんも「彼の人柄と対応は素晴らしい」と絶賛。S氏のおかげで流れるようにスケジュールは運び順調、順調♪♪♪。

But、だが、しかし・・・スムーズに進んだのはここまで。

4日目一行は宮城に移動。

S氏ともお別れ。後から聞くと、彼も同行の3日間は「チョー楽しい♪」と言っていたようである。

登米でドライバースタッフのw氏が、はるばる神奈川県から車で追っかけ合流。

さらに、来日8日目の土曜に、いよいよ私が出陣! 行くぞ東北へエイエイオー!

と、ここで台湾に一緒に行った慧ちゃん再登場。

急遽、彼女は沖ヨガ合宿へ通訳をかねて同行することになり、二人で6時56分発のはやぶさに乗っていざ宮城へ。

はやぶさDSC_1761

仙台で慧ちゃんは電車を乗り換えて岩沼へ。

私はイタリア奉仕団がいる石巻をめざし、仙石線に乗ってまずは松島海岸へ。

松島海岸DSC_1764

電車の窓の中から、日の光に輝く海と島々が見え、随分風光明媚なところだなぁと感心して下車したら、それもそのはず。

「まつしまぁ~ぁ♪♪」と歌にも有名な松島でした。観光したい気分を振り切り、

矢本DSC_1766

その松島海岸からは、途中の区間、津波の影響で路線が途切れているためバスに乗り変え、

再び矢本から仙石線の電車に乗っり直して、ようやく10時56分に石巻に到着。

石巻は遠かった・・・が、まだ甘い! 目的地はさらにここから車で移動。

w氏が迎えに来てくれ、状況を聞きながらスケジュール表を見せてもらったらビックリ!

ナンだ、これ??? 売れっ子タレント並みのスケジュールで分刻みだよ。

後方部隊でそんな状況とはつゆ知らず、みんなソートーお疲れなのではないかと不安がよぎる。

旅の中盤だからお疲れが出てトーゼン。

一昨日の16日夕方からチエコさんは、沖ヨガ合宿のスタッフでもあるため、岩沼へ移動したから、さぁ大変。

マツヨシさんは、車の運転、通訳、コーディネイト、おまけに宿泊先では自炊のためご飯作りと大働き。

あと、1週間大丈夫かいな?! てんぱってる様子アリアリ・・・がんばれマツヨシさん。(今回2回目のゲキレー)

私は、8日ぶりに割りに元気そうなイタリアメンバーと再会し、ハグをする。

ボンジョルノ! ボンジョルノ!

バスDSC_1792

日本語もままならぬ私なのに、ブロークン過ぎる英語と、意味不明のイタリア語で皆様を、バスでチエコさんが待つ沖ヨガ合宿の宿泊先のホテルへ、無事皆さまをお連れしました。

合宿先では、4月に台湾でお世話になった張先生と通訳の青木さんもいて、再会を喜び合いながらハグしあう。

ニーハオ! ニーハオ! (私もインターナショナルになったもんだ)

張先生DSC_1810

合宿には、協会仲間の知った顔や久しぶりにお目にかかる先生等がいっぱい。

こんにちは! こんいちは!

総会挨拶DSC_1807

一人ひとりをご紹介

マティア挨拶DSC_1809

イタリア沖ヨガが中心として組織する「アースヒューマンハーモニープロジェクト」会長のマティアがイタリア語で挨拶。

それを陽気なピナが英語に、チエコさんが日本語で・・・。

世界はひとつ、言葉はいろいろ。(汗)

その夜は経費の問題から、イタリアグループと私たちは、ホテルで夕食を摂る訳に行かず、でもマツヨシさんはお疲れマックス。

どうやら車でスーパーへ行って、お弁当を買いに行く余力もなさそう。

そこで彼はみんなに「夕食はご自由にどうぞ・・・」

え゛え~、ご自由にたって、売店にはお土産用お菓子とおつまみ風のものしかないよ?

1日活動してみんなも疲れているのに、それじゃあまりに気の毒。

何とかしてあげたら?と言ったら、彼曰く、「ヨガ人なんだし、今まで過食気味だから、断食しようかなと思っていたのでちょうどいい」

う~ん、なんか違うような気がするけど・・・。

お風呂から上がってロビーを通りかかると、マツヨシさんとw氏やイタリアメンバーたちは、なにやら楽しそうに談笑しているではありませんか。

テーブルの上には山のような、おせんべいやお菓子類、チョー有名なお土産の「カモメの卵」などが乗っていた。

断食は挫折?、断念?、マツヨシさんが言い出せなかった?のか・・・彼らは夕食代わりにそれらを食し、ビールとともにスルメを齧っていたのであった。

「Oh! My GOD」

でも、彼らは文句も言わず・・・通じないか?!?

机の上にうず高く積まれたおせんべいとスルメを口にしつつ、夜は更ける・・・。

次号乞うご期待、Be continued、Essere continuato!
 

勝利者の瞑想法―ジャイナ教・修行の実際 [単行本]