ディープな旅 ネパールとインドその6ー感動の夜明け

湯たんぽで気持ちよくグッスリと眠った翌朝は、根性入れて早朝3時半に起きました。
その日の朝は、タイガーヒルという丘まで行って、ご来光とカンチェンジュンガが朝陽に染まるのを観に行きます。

町の南東に位置するタイガーヒル展望台は、ホテル街より400mほど高い位置にあるため、ヒマラヤのパノラマが満喫できます。

真っ暗な山道の細い曲がりくねった坂をぐんぐん登っていきます。
それにしてもドライバーさんの運転のうまいこと。
万年ペーパーゴールドドライバーの私にも分かるその腕前!

到着したときは、まだそれほどの人ではなく余裕余裕。
暗い中、「コッピー」または「コピー、コピー」という声がやたらあちこちから聞こえてきます。
ム、ム、何ゆえにこの暗がりで「コピーをするのかな?」
と思ったら、日本では今では懐かしくなった魔法瓶に入ったコーヒーの売り子さんたちの声でした。
その数、ご来光見物の人より多いくらいに感じました。
その時はね。(^_-)-☆

丘は標高2600mで朝の4時半の気温は低く、寒いことこの上ないです。
だから熱々のコーヒーを売っているんですね。
ここで雪山装備が威力を発揮し、ダウンジャケット、ダウンの股引、フリースとありったけ着込みました。

紅茶の街、ダージリンで何ゆえにコーヒーを売っているのか・・・それは謎でした。
インドのコーヒー生産量が世界第5位って知ってました?
最近、TVのクイズ番組で知りました。(笑)

ガイドさんがこの場所がベストだ!と教えてくれたところでじっとご来光を待ちます。
日が昇るまではだいぶ時間があり、それまでは星空鑑賞会。

だんだんと車と人の数が多くなり、いつも間にか、ヒッチコックの映画「鳥」のように、ふと振り返ったら・・・ものすごい人、人、人。

左右にもガンガン割り込んでくるため、うっかりお手洗いにもいけません。
ハイシーズンの山小屋のように、ちょっとでもその場を離れたら、もう入る隙はなくなりそうで、自分の場所を確保するのに必死です。

うっすらと姿を見せるカンチャンジュンガと町の夜景

うっすらと姿を見せるカンチャンジュンガと町の夜景

地平線が一本の線を引いたように白くなってきたと思ったら、だんだんと東の空が紫色に変わり、地平線は白から赤へ。

東の空が明るくなってきました

東の空が明るくなってきました

空は紫色からピンク色になり、赤みがさし、日が昇った瞬間
お゛お゛~、うわぁ~、ぎゃあ~、ぐわぁ~っ!!!!!
何とも言えぬ歓声とも怒号とも、悲鳴とも思えるような歓喜の声が、押し寄せ、後ろから、右から、左から、下から???も人が押し寄せてきます。
ゼーゼーハーハー言いながら必死に身を守りながら、ご来光を見るという体験は初めてです。
富士山だってこんなことはナイ!

世界共通ご来光というのは、人々を神聖な気持ちにさせます。
が・・・この場所では、神聖どころかラッシュアワーの電車と一緒。

日が昇る前に、一足先にカンチャンジュンガがうっすらとその姿を浮かび上がらせ、次第に薄いピンクをまとい、だんだんと赤みを帯び、それはそれは美しく、「生きてて良かった!」とただただ感動するばかり。
人々が山を神と崇めることを実感します。

ピンク色に染まるカンチェンジュンガ

ピンク色に染まるカンチェンジュンガ

かなり日が昇ってきました

かなり日が昇ってきました

実はタイガーヒルからは、エベレスト山群も見ることができ、稜線の合間にエベレストの頭が少しだけ見えます。

ちょぴっと頭が見えたエベレスト ラッキー♪

ちょぴっと頭が見えたエベレスト ラッキー♪

カンチェンジュンガと比べると親指サイズなので、見えただけでもラッキーでした。
これもヒーラーけんちゃんのおかげか、はたまたみんなの日頃の行いが良いのか!

次回は書ききれなかったトイ・トレーンに乗車します。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその5ー世界第3の高峰

魅惑的な目をした少年僧に心を残しながら、ネパールをあとにし再びインドへ。
次の目的地、紅茶で有名なダージリンまで193km、予定時間は8時間。

キャンプ中はアルコール一切禁止だったため、インドへの移動の車に乗ったとたん、頭の中はしんみりとなった少年僧のことはすっかり忘れて「ビール、ビール、ビール」

ようやくありつけたビールを前に大喜び

ようやくありつけたビールを前に大喜び

ビラトナガールは私たちにはただの田舎町にしか見えませんでしたが、カトマンズに次ぐネパール第二の都市であり、インド国境沿いの交通の要衝なのだそうです。
11月でも夏日の暖かいというか暑いところをあとにして、インド国境へ向かって車はひた走ります。
国境近くなってきたら、ものすごい渋滞です。
私たちが訪れた昨年11月現在、インドはネパールに対して経済封鎖をしていて、インドからの物流が激減し、ネパールではガソリンなどの不足が深刻化していました。
だからネパール滞在時は日に何度も停電したんですね。
その時も山用のヘッドランプが実に役立ちました。

国境近くの道路は、ネパールへの入国を待つ物資を積んだトラックが何十台?ひょっとして100台近く止まったままで、入国許可が降りるまで何日も待っているようです。

インド側のイミグレーション

インド側のイミグレーション

国境近くであったデモ騒動も私たちが通過する前に治まり、無事国境を通過。
そこで通訳兼ガイドのスメダさんと名残惜しいけどお別れ。
車を乗り換え、今度は乗用車3台に分乗。
なぜバスではなく乗用車なのか?!?
それは紅茶畑を抜けて行くとすぐに理由がわかりました。

紅茶畑の茶摘み

これは世界的に有名なダージリンの紅茶畑

茶摘みをする女性

茶摘みをする美しい女性

茶畑を超えるとぐんぐんと標高を稼ぐほどに山道を登っていきます。
ダージリンへはビラトナガールから標高差2000mほどを、車で登っていくのですが、とても日本では考えられないほどの急な細いくねくね道を車は行きます。
樹林帯を抜けると、山の斜面にへばりつくようにして街ができている光景が目に飛び込んできました。
道路の左右にお店や家が立ち並んでいるのですが、そのすぐ下は崖です。
尾根に沿ってずっとそれが続き、大きな街が形成されている様子は、まさにびっくりぽんです。

そんな街をいくつか通っていくうち、遠くに白く雪に覆われた高い高い山が見えてきました。
カンチェンジュガだ!
まるで空に浮かんでいるように見えます。

その山を目にした途端、えも言われぬ感動が胸を突き抜けていきました。
あまりにも神々しいその姿に、思わず我を忘れ、自然に胸の前で手を合わせたくなるほどです。
富士山とおんなじだ!
やはり山というのは、人々の心の中で神と同じ位置にあるといつも思います。

世界第3位の高峰のカンチェンジュンガ

世界第3位の高峰のカンチェンジュンガ

標高8,586mで世界第3位の高さを誇り、ネパール東部とインド・シッキム州の国境に聳え、カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」という意味だそうです。
ダージリンは、世界屈指の高級茶葉ダージリン・ティーの産地として知られ、インド国内でも有数の避暑地で、ヒマラヤの名峰カンチェンジュンガの勇姿をバックに、イギリス植民地時代の名残を色濃く残す町並みと広大な茶畑が標高2100mの山腹に広がっています。
朝晩、霧が立ち込め非常に霧の多い所です。この条件こそが紅茶栽培に最も適しているようです。

この街の中からは、この雄大な神々しい山をどこからでも見えます。
ただし毎日見えるわけではなく、私たちが到着する前10日間は、全く雲の中で山の姿は見えず、私たちはかなりラッキーだったようです。
今回のツアーには、ヒーラーけんちゃんが同行していますが、ひょっとしてこれまでのラッキーな数々のことも彼のおかげかも?!?

ホテルはダージリンの街の細い細い、曲りくねった坂の上にあり、こんなところにあるの?というような場所にありました。
でもそこは思いもかけない高級ホテルでした。

素敵なホテルCedar Inn

素敵なホテルCedar Inn

ホテルからの夕日

ホテルからの夕日

建物は複雑に建てられ、どの部屋からもカンチェンジュンガを見ることができ、食事もとても美味しく、朝は白いお粥までありました。
お食事は大変美味しく、ネパールや中国の影響が強く、焼きそば風のものや中華風のものがありました。

右上の白いカップにはいいいるのがお粥。

右上の白いカップに入っているのがお粥。

標高が2100mなので、これまでいたビラトナガールとは気温が段違いです。
日中はまだしも、日が暮れると一気に気温が下がり、吐く息が白くなります。
このホテルで一番感動したのは、夜ベットに入った時に、なんと湯たんぽが入っていたことです。部屋には小さなヒーターもあり、この湯たんぽとともに気持ちよくぐっすりと眠ることができました。

懐かしいゴムの湯たんぽ

懐かしいゴムの湯たんぽ

翌朝は早く起きて日の出と、その朝日に照らされるカンチェンジュンガを観に行き、そして世界遺産のトイトレーンに乗りに行きます。

乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその4ーサマニと少年僧

Tちゃんのお嫁さんの心配をしている時に、美しかった・・・いや今でも充分美しいサマニに会いました。

その方はサンマッテイ・プラッギャジ(名前のあとにつける「ジ」は日本の「さん」という意味です)。
坂本先生が、少々興奮気味に「20数年ぶりで再会したが、今でも当時の美しさを彷彿とさせるサマニだよ。」と話してくれましたが、まさにその通りでした。

大変聡明で知性的、たおやかな、慈愛に満ちた美人さんです。
ご挨拶をさせていただいたとたんに一遍でファンになりました。
サマニにしておくのはもったいない?!?、
インドのイングリッド・バーグマンといった感じです。(若い人にわかるかなぁ(^_^;))

サマニ・サンマッテイ・プラギャ

サマニ・サンマッテイ・プラギャジ

5年前にグリーンカードを取得し、アメリカでプレクシャ・ディヤーナやジャイナ教哲学などを大学で指導したり、活動を行っているそうです。

ところで、サマニというのは、サドヴィ(尼僧)になる前の出家志望者のこと。
ジャイナ教の出家修行者は、乗り物に乗ることを禁じられていますが、サマニやサマン(男性出家志望者)は宗教的な目的のためならば,乗り物に乗ることができます。
さらに、出家修行者は自分たちのために用意された食べ物を受け取ることができないので托鉢をしていますが、サマニやサマンは自分たちのために用意された食べ物でも受け取ることができるので、ジャイナ教徒が少ない諸外国における托鉢などの煩雑な行為をしなくていいので、海外での活動ができるというわけです。
この辺がテーラーパンタ派がジャイナ教の他派と著しく異なる点なのだそうです。

そこでサンマッティジは、17歳で出家をしたいとムムクシュ(将来、出家修行者やサマニーになるための準備をする学生)になり、25歳でサマニになったそうです。
それから25年・・・あ!年齢がバレちゃった!

サマニ・サンマッティジといつも同行しているサマニ

サマニ・サンマッティジといつも同行しているサマニ

ひょっとするとひょっとして、インドのイングリッド・バーグマンが来日するかも・・・かも、ですよ。
決定したらまたご案内しますね。

舞台の上手側が男性、下手側に女性たちが座ります。

舞台の上手側が男性、下手側に女性たちが座ります。

信者さんたちが集まって、アチャリアの説教やムニやサドヴィ、サマニたちのマントラの歌声を聞くために集まる大会場で、こちらを振り返った少年僧がいました。

彼は何を見ようとしたのでしょうか?

彼は何を見ようとしたのでしょうか?

その目を見た一瞬、ドキッ!
とても澄み切った綺麗なそして魅惑的な瞳でした。
たまたまカメラに収めたその写真を隣に座っていたMちゃんに見せたら、「イケメ~ン!」

まだ幼さが残る少年僧

まだ幼さが残る少年僧

まだ背が伸びきっていない様子から、10歳を少し過ぎたくらいの年齢かもしれません。

8年前から顔見知りの当時まだ幼いムニなどは、その子のおじいちゃんくらいの年齢のムニの足元にまとわりついていました。

子犬のように跳ねていた子もこんなに大きくなりました。

子犬のように跳ねていた子もこんなに大きくなりました。

その他の子供と思われる僧も会うたびに成長し、大きくなったなぁと感激ひとしおです。

でもこの少年僧とは初めて会いました。
彼の目は魅惑的ではあるけれど、明るい無邪気さがあまり感じられなかったのです。
この子のお母さんは、出家する我が子を見送る際の気持ちはどんなものだったのでしょうか。祝福されて出家したとは思いますが、自分の子ならと思うと少し複雑な思いがしました。

いきなり母の気持ちになった私は、少々胸に思うものを抱えながら、キャンプをあとにし、インドへ戻っていよいよディープな旅の始まりです。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその3ーアワード賞

大好きなムニに、日本語が通じたのではないかと思い込み、勝手に舞い上がった私ではありましたが、本来の目的は坂本先生のアワード賞です。

今年、日本で永年プレクシャ・ディヤーナの指導をされている坂本先生に対して、アワード賞が授与されたのです。
2007年から毎回キャンプに参加している身としては、ぜひともその受賞をこの目で確かめたいという気持ちが強く、無理をしてでもという思いで今年も参加しました。

その授賞式は思いの外、こじんまりと講義を受けている教室で行われ、日本人の他に、ロシアグループのメンバーが参加してくれました。
ちょっとここでも拍子抜け。
毎回、キャンプにロシア勢は100名を越すほどの参加者がいるのですが、なぜか今回はロシアからは11名のみ。

一昨年のアチャリア・トルウシー生誕100周年記念の際は、ロシア、ウズベキスタン、ウクライナなど東欧から230名の参加者がいたのですが、今回は開催地がネパールだからという理由なのでしょうか、海外からの参加者がとても少ないことにビックリ。
ま、ビラトナガールはネパールでもインド国境に近い小さな田舎町で、観光地でもないからなぁ。

で・・・いよいよ受賞式が始まりました。
その場にはどんぐり眼のムニ・シュラマンジーと私の大好きなムニ・ジャイ・クマールジが同席。
アチャリア・マハー・シュラーマンは・・・そこにはいませんでしたが、この際、ジャイ・クマールジがいてくれたらそれで良いや♪

坂本先生、ムニ・シュラマンジー、ムニ・ジャイ・クマールジ

坂本先生、ムニ・シュラマンジー、ムニ・ジャイ・クマールジ

本部を代表して在家信者の方々から立派な楯を始め、地元の名士たちなのでしょうか、次から次へと記念品が坂本先生に贈呈されました。

立派な楯

立派な楯

その後、ロシアのメンバー11名による、プレクシャ・ソングのコーラスが始まりました。

ロシアグループによる合唱

ロシアグループによる合唱

ロシアの女性は美しい人が多いです・・・しかし、全員が歌が上手いとは限らない。
一所懸命歌ってくれました。素晴らしい♪ パチパチパチ(拍手)
残念ながら日本人グループはプレクシャ・ソングは歌えません。
そこで、みんなと話し合いました。
「今度は私たちもプレクシャ・ソングを覚えて歌えるようにしよう。
ただし、事前に音程だけは合わせよう」と、固く誓い合ったのです。(汗)

そう言えば、一昨年の大イベントで、急遽日本人を代表してT子さんが舞台で独唱をしました。
実に気持ち良さそうに朗々と歌い上げたその歌は「ろくでなし」???

2013年のイベントで熱唱するT子さん

2013年のイベントで熱唱するT子さん

その歌で良かったのかどうか・・・。
でも日本人以外には、その歌の意味なんかわからないから、ま、いっか!?!(苦笑)

その夜、先生には内緒で、ビラトナガールの銀座通りにあるお菓子やさんでケーキを買いキャンプ中は禁酒のため、ジュースでサプライズ・ミニパーティをやりました。
その時の坂本先生の笑顔がとても素晴らしかった♪

サプライズパーティ

サプライズパーティ

インドもそうですが、日本では考えられないほど、お菓子やケーキはとてもカラフルです。

カラフルケーキ

カラフルケーキ

ベジケーキもありました。

 なんとベジケーキもありました。

キャンプ中の食事はジャイナ教食でビーガン(動物性の食品を一切摂取しないという、完全菜食主義者)に近く、とても優しいお味です。

美味しい食事

美味しい食事

コーヒーもありましたが、このカップをよーく見たら・・・「ネスカフェ」ならぬ「ナイスカフェ」???

ナイスカフェIMG_0276

毎回、宿舎からすこし離れた建物に行って、3度のお食事をいただきましたが、それはすべてボランティアの人たちによるものだったのです。
お揃いのスタッフTシャツが彼らの裕福さを語ります。

アチャリアがキャンプ中に滞在した家は、在家信者の方の家の一部が提供されたのですが、それはそれは立派なお屋敷でした。
聞くとこころによるとネパールで3番目のお金持ちのお宅だそうです。

比良都なガールの在家信者によるボランティアの人たち

ビラトナガールの在家信者によるボランティアの人たち

ジャイナ教徒は厳しい殺生戒の故に就ける職業が限られています。
軍隊や狩猟、漁業はもちろん、虫や微生物の生命を奪う危険性のある農業も避けるとなると、いきおい商業、とりわけ宝石・貴金属小売業や金融業に集中することになったようです。
日本でも御徒町あたりの宝石商は、ジャイナ教徒の方が多いのですよ。

その結果として、インド国民の0.4%とはいうものの、彼らの結束力ともあいまって、インドでは比較的裕福なコミュニティを形づくり、政財界にも力を持つ人が多いのだそうな。

このブログのその1で登場したTちゃんは、子供のころから「仏陀」大好き人間で、初期仏教に詳しく、その話をさせると目はキラキラと輝き、顔を紅潮させ、嬉しそうに貧乏ゆすり(コーフンするので貧乏ゆすりでバランスをとるのか・・・???)をしながら喋り捲ります。

海外旅行はもちろんネパール、インド、ジャイナ教のムニなど初めてづくしですが、ツアーに参加する前から、キャンプに参加したらそのままジャイナ教のお坊さんになってしまうのではないかと、周囲の仲間から言われまくっていました。

仏教にやたら博識な彼ではありますが、参加者のうち一番若い女性のMちゃんと話をしていて、彼は「アナ雪」(アナと雪の女王・・・ありのままで~♪♪♪って、いうアレ)を知らないというのが判明!

彼女は、非常に驚き「それじゃ、若い女の子と話が合わず会話成り立たないよ!」と大いに心配したのです。
で・・・未だ独身だというのが実に納得。

Tちゃん 独身♪

Tちゃん 独身♪

彼は結局、世界で一番戒律が厳しいジャイナ教のお坊さんになる決心はつかず、一緒に帰国しましたが、以前に自衛隊に所属していたことがあり、やっぱりジャイナ教のお坊さん無理っぽそう。

お坊さんにもなれず、「アナ雪」も知らない彼はどーする!?!
でも、とても良い奴なので、初期仏教に興味のある独身の女性諸君。
何ならTちゃんを紹介しますよ。(^_-)-☆

さて、近々大掃除の合間を縫って続編書きますね。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその2ー瞑想キャンプ

キャンプの宿舎で、私に肩を抱かれ少々キンチョーの面持ちで写真を撮られたエレバーターガールならぬエレベーターおじさんは、日を追うごとに顔を合わせるとニッコリと微笑んでくれました。

一昨年のキャンプは、ジャイナ教(テーラパンタ派)本部のあるラドヌーンで開催されました。
先々代のアチャリア・マハー・トルーシー生誕100周年記念イベントがあり、本部も気合入りまくり。

それまでも朝5:30から21:00くらいまであったのが、一昨年はさらにハードになって、朝の5:30から22:00近くまで、講義と瞑想実習が分刻みのスケジュールで、それはそれは大変でした。(詳細は2014年の「インド瞑想の旅」を参照)

なぜゆえにこんなに過密スケジュールなのかというのが、ごく最近TVでインドの教育制度を観て判明しました。
日本では6歳から学校に行き始めますが、インドでは就学年齢がもっと早く、1日の授業時間もとても長いのです。
休憩時間は無し!
トイレは許可証を提示して、各自行きたい時に行くのだそうです。
自宅でも勉強をし、いつ遊ぶんだろうか?

なーるほど、インド人は頭脳優秀な訳だ。
ゆとり教育なんて以ての外って感じのようです。

授業風景

授業風景

で・・・今回は、もう少しゆったりスケジュールをお願いしたところ
思いっきりゆったりになり、午前中2クラス、午後2クラスだけになり、カルマを落とすべく気合十分で参加したのにメチャ拍子抜け。

キャンプに参加すると、Tシャツ、パンツとちゃんちゃんこが支給されます。
毎回同じデザインで、これを私はもう何setも持っていますが、このちゃんちゃんこがカッコ悪いなといつも思いますが仕方ないか・・・。

拍子抜けの授業回数にもめげず、私達は自主的に朝暗いうちから起きて、宿舎の隣にあるテントの屋根だけがついた集会所で朝ヨガを行いました。
日が昇り、お掃除のスタッフが三々五々集まってくると、ヨガをやっている私たちを珍しそうに見学。

暗いうちから朝ヨガと瞑想

暗いうちから朝ヨガと瞑想

瞑想その他の指導をしてくれたのは、まずムニ・シュラマンジー。
このムニはどんぐり眼が特徴で、日本との連絡係りや世話役をしてくれていますが、日本語をちょっと話します。
今から26年前、9歳の時に出家し、今ではアチャリア・マハー・シュラーマンの側近です。
6歳の頃に日本人と初めて会い、本人いわく日本人とは心が繋がっているとのこと。24年くらい前に在日インド人の人に日本語を習ったそうです。

なんとなく頭の格好がアチャリアとよく似ており、いかにも頭が良さそう。

アチャリア・マハー・シュラーマン 現在の最高指導者です

アチャリア・マハー・シュラーマン 現在の最高指導者です

ムニは髪が伸びた人と坊主頭の人と、中半端な髪の長さの人とそれぞれです。ヘアーカット等もちろん床屋さんには行きません。
それは半年に一度とか、定期的に髪が伸びたら、カミソリなどは所有せず、髪を剃るときに小さな虫たちを殺さないため、お互いに毛抜きで抜き合うのですが、この二人を見る限り、その手間は省けそう(苦笑)

私たしのお世話役 ムニ・シュラマンジー

私たちのお世話役 ムニ・シュラマンジー

お次の先生は、一昨年も指導してくれたランジット先生。
お年を召したお父様といつも一緒で、今回もお父様は授業中、部屋の片隅に座っていらっしゃいました。親孝行なんですよねェ。
傍で見ていて心がほっくりします。
この先生は気持ちが速るのかすごい早口で、通訳泣かせです。
普段は実に穏やかな人ですが、一旦講義が始まると口角泡を飛ばしながら、弾丸のように話し始めて止まらなくなります。(汗)

初めてキャンプに同行したガイド兼通訳のスメド・シャカさんは、ネパールの方ですが、額に汗しながら実に一生懸命に通訳してくれました。
ご苦労様です。m(_ _)m

ランジット先生と通訳のスメドさん

ランジット先生と通訳のスメドさん

そしてお馴染みのムニ・ジャイ・クマールジ。
私が尊敬するムニのうちの一人で、憧れの人です。
授業を受ける前に宿舎で顔を合わせた時、覚えていてくれて、ニッコリと微笑んでくれて手を振ってくれました。
きゃぁ~!
もう私はそれだけで天にも昇る気分♪
胸ドキドキ。
本当なら私が得意なハグをしたいところですが、女性は60cm以上ムニに近寄ってはいけないため、グッと堪えました。
異性に誤って触れたとしても、ムニが3日間断食しなければいけないからね。(苦笑)
この時ばかりは男性になりたいと思いました。

ムニ・ジャイ・クマールジと若いムニたち 久しぶりに会って世間話

ムニ・ジャイ・クマールジと若いムニたち 久しぶりに会って世間話

初めて2007年にキャンプに参加した時から、ずっと毎回瞑想を担当してくれていますが、日本人がとても好きなようです。
彼の瞑想の誘導は、声のトーンといい、間の取り方、リズムなどとても心地よく、深い瞑想に入れます。
一昨年、唯一体を動かして瞑想する「幸せの雨が降る」がとても楽しく気持ちが良かったので、今回もリクエストしました。
瞑想中は目を閉じるのですが、いかにも楽しそうにマントラを唱えている彼の様子が見たくて、掟を破って薄目を開けてちらっと私は・・・見た。
笑みをたたえながらやっぱりとても楽しそうでした。

あこがれのムニ・ジャイ・クマールジと

あこがれのムニ・ジャイ・クマールジと

私は、子供の頃から歌手やスター、映画俳優などに夢中になることがなく、結構覚めた子でしたが、今持ってそういうのがなく、歌手などを追っかけをするほどのファンだという人をいつも羨ましいなと思っていました。
それほどまでに夢中になれるって素敵じゃないですか!
今、私が夢中になっているというか、世界で一番会いたい人と言ったら
すかさずこのムニ・ジャイ・クマールジと指名します。
向こうはどう思っているかわかんないけど(汗)

「幸せの雨が降る」は「アーナンドーメイ ワラサティ ワラサティ」(私の上に幸せの雨が降る)、「ドーメイ ドゥーカン ドーメイ ドゥーカン」(私には苦しみがない)とリフレインするマントラ瞑想です。

ある日、他の人がその「幸せの雨が降る」をやってくれました。
ところがムニ・ジャイ・クマールジのものとは全く違う???
何故、どこが違うのか?!?
とても不思議でした。

もちろん声の質やトーン、間の取り方があるとは思うのですが、究極的には心がこもっているかどうか・・・。
そこが違うのではないかと思いました。
私たちも指導をする際、とても大切なものを教えてもらったような気がしました。

廊下でばったりムニ・ジャイ・クマールジにあった際に、私は思わず日本語で「ムニの幸せの雨の方が絶対楽しい♪」と言ったら、彼は満面の笑みをたたえ、嬉しそうに一緒に笑ってくれました。
日本語が通じた・・・まさか?!?

さて、次回は書ききれなかった坂本先生のアワード受賞式のお話です。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその1ーまずはネパールへ

今年のジャイナ教第12回国際瞑想キャンプは、インド国境に近いネパールのビラトナガールという小さな町で開催されました。
その後北インドを観光して来ましたが、5度目の訪印となる今回はなかなかタイトル通り「ディープな旅」でした。

11月18日成田に集まったのは、キャンプ参加経験者5名、初参加6名、そのうちインド初めて3名、海外旅行も初めてという人がおりました。
インド・エアーは満員。
乗ったとたん・・・そこはインド。

ネパールに入るには、まずはデリーで1泊。
デリー空港からすぐ近くのホテルに向かう途中の車の多さといったら、
尋常ではありません。
夕方の渋滞時間ではあるものの、訪れる度に明らかに年々車が多くなっており、
8年前は主にバイク、自転車、リヤカー、時々牛、ラクダが歩いていて、
こんなにたくさんの車は走ってなかったなぁ。
インド経済成長の著しさを目の当たりにします。

翌朝、デリーからカトマンズへ。
カトマンズ空港の荷物チェックで1名引っかかっている人物あり。
ん???どうした、どうしたと近寄っていったら
海外旅行初めてというTちゃん。

彼が持っていたキーホルダーは銃弾の形。
ワッ! ダメじゃん!
即、没収。一同、呆然。
彼は以前、自衛隊に所属していたことがあり、それで銃弾のキーホルダーがお気に入りだったようで。
しかも彼のズボンのポケットからは何やら細い紐状のものが垂れ下がっているではありませんか。
「何これ?」と思ったら、体のサイズを測ったりするメジャーでした。
「なんでこんなもの持っているの?」と聞いたら、
「最初の職業が洋服作りをしていたので、その時の癖でいつも持ち歩いている」とか・・・?!?
「そんなものいつも携帯してどーするの?」とさらに突っ込む私。
「すぐに測れるじゃないですか?」
「何を?」
「いろいろ・・・」と答えるTちゃん。

このTちゃんは、初期仏教に関して大変な博識の持ち主で、
子供の頃から仏陀大好きが高じて、中学生の時にお寺に入信、僧侶になりたいと願いでたら、寺の住職から断られたという不思議な経歴の持ち主です。
結局、旅の終わりまでメジャーの出番はなかったような・・・。(ーー;)

この人がうわさのTちゃん

この人がうわさのTちゃん

初めて訪れたカトマンズ。
トランジットのため「目玉寺」で有名なネパール仏教寺院スワヤンブナートのみを観光。
「カトマンズの渓谷」の一部としてユネスコ世界遺産に登録され、カトマンズの中心部から西に3kmほど離れた丘にあります。

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猿寺とも言われ、お猿さんがたくさんいました。
お寺の一部分だけ地震で崩れた跡がありましたが、それほど地震の被害はなかったようです。

さすが有名な観光地でもあるため、人が多いこと、多いこと。
同行の11名は自由人が多く、足並み揃わずいつも誰かがいない。
私は仕事でツアーリーダー的な仕事もしているため、そこはお任せ!
日に何度も人数チェック。

なにせ以前、2名を置いたままバスが出発し、2回も移動してからようやく2名いないことに気がついたことがありましたからね。(苦笑)

スワヤンブナートのそばのレストラン・・・とてもレストランとか食堂には見えない掘立小屋?!?でランチ。
出てきたのが、なんと餃子とラーメン!
餃子はモモといい、日本でお馴染みの餃子の形をしており、辛い味噌風のものをつけていただきました。
とても綺麗とは言い難いお店ではありましたが、ホッとするお味で美味しかったです。

モモ

モモ


ネパールのラーメン?!?

ネパールのラーメン?!?

さて、観光をそそくさと終えて、またカトマンズ空港から国内線でビラトナガールへ。
小さなプロペラ機で飛んでいると、白い峰が見えてきました。
おお~あれがエベレスト山群だ!
成田からデリー間も、遠く遠くにあれがそうかな?と思えるほどに、エベレストの峰が見えますが、窓にへばりつくようにして観た白い山々は、山の形がわかるくらいでした。

ヒマラヤ山群のひとつ

ヒマラヤ山群のひとつ


夕日に染まるエベレスト山群

夕日に染まるエベレスト山群

後で聞いた話によると、その飛行機のパイロットが通常ルートを迂回して、エベレストの近くを通ってくれてのだそうです。
ずいぶん粋なパイロットさんではありませんか。
ありがとう。

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ブッダエアー

ビラトナガールについたときは、もうすでに日が落ちたあとでした。
本当に飛行場なのかなというくらいに閑散としていて売店もなく、地方の赤字路線のバスの待合所みたい。
しかも周囲は真っ暗です。
飛行場の周りにお店や建物もなく街灯もなく真っ暗でよく見えず、人気もナシ。
Tちゃんは「真っ暗で人もいないし、大丈夫なのかなぁ」とかなり不安げ。
そこでTちゃん
やおら重くて頑丈そうな胸のボタンにぶら下げられるライトを自慢げに「これが役立つ」とみんなに見せびらかす。
自衛隊時代から持っているというから、軍用なんでしょうね。
確かにネパールでは日に何度も停電して、私も持参した山用のヘッドランプが役に立ちました。

ビラトナガール空港で。可愛い坊やとママ

ビラトナガール空港で。可愛い坊やとママ

車に乗って真っ暗な道をしばらく行くと、ようやく街らしいところへ出て、とある建物に到着。

私たちの宿舎

私たちの宿舎

そこが私たちの宿舎にあてがわれたところですが、ホテルではなさそう。
でもエレベーターもあり、ちゃんと各部屋にはベットが二つ、トイレとシャワーが完備され、私の部屋は角部屋でゆったり広さがあり快適そのもの。
今までのキャンプのお部屋よりずっと立派できれいなので、思わず感激しました。

宿舎の部屋 ホテルみたい

宿舎の部屋 ホテルみたい

この部屋を毎日お掃除に来てくれた青年は、「こんにちは」と日本語で話しかけてくれたのでビックリ!
勉強で静岡に2年間いたことがあるそうです。

静岡に2年いたことがある青年

静岡に2年いたことがある青年

そう言えばこの宿舎のエレベーターの中には、椅子に座っていてボタンを押してくれる「エレベーターガールならぬ」「エレベーターおじさん?!?」がいましたよ。
さすが朝早いといなかったけど、結構夜遅い時間にエレベーターに乗っても、いた!

エレベーターおじさん

エレベーターおじさん

さて、次回はいよいよ瞑想キャンプと坂本先生のアワード受賞式のお話です。
乞うご期待!
To be continued!

4度目の挑戦「剱岳」登頂しました♪

今から4年前。
剱岳に挑戦しようと勇んで出かけたものの・・・雨。
剱沢小屋で窓の外の雨を眺めては、本を読んだりおしゃべりしたりと、まったりした時間をたっぷり過ごしました。
この小屋は夏の間、ヤマケイの山の現地情報で毎週、仕事で電話取材をさせてもらっている親しい小屋です。
二日連泊して雨が止むのを待ちましたが降り止まず、剱沢小屋の友邦さんと新平さんに「またおいで」と見送られながら下山。
でも山小屋で何もせずに連泊するなんて、すごい贅沢でしょ。

翌年。
またもや剱沢小屋へ。
「1年ぶりのご無沙汰です」とご挨拶して再挑戦・・・でもやっぱり雨。
その時は1泊で諦めて下山し、天狗平山荘でまったり過ごしました。

次の年はちょっと剱岳はお休みして、針ノ木~船窪岳へ。

そして昨年。
「さぁ、今年こそは・・・」と予定していたら、なんと台風襲来!
剱沢小屋の友邦さんからは「誰か雨女か雨男がいるんじゃないの?」と言われ、天狗平山荘の賢ちゃんにいたっては、「嵐を呼ぶ女!」とまで言われる始末。

そして今年。
5月の涸沢から、6月飯縄山、7月北岳、8月白山と、北岳は快晴ではなかったものの、その他は見事に快晴♪
幸先がいいぞ!と、今年こそはと4度目の剱岳に挑戦!

山の現地情報取材と予約の確認で、剱沢小屋へ電話をした際に、新平さんに「今年は大丈夫でしょう」と、心強い激励を受け、8月7日に剱沢小屋を目指しました。
受付には剱岳の主のような山岳ガイドのT氏がちょこんと座っており、再開のご挨拶。
相変わらず頭にタオルを巻いていました。
それがカッコ良いんですよね。

玄関前のベンチで、富山在住でFacebook友の山岳ガイドH氏とばったり。
H氏とは、Facebookで剱岳の写真の件でつながったのですが、綺麗に真っ黒に焼けて精悍そのもの。
「やぁやぁ、どうもどうも。お互い明日、剱岳頑張りましょう」と握手し、秋を思わせる雲がたなびく剱岳を眺めました。

剣沢小屋からの剱岳

剣沢小屋からの剱岳

アタック当日8日は大快晴。
あくまでも青い空がどこまでも広がり「目指せ 剱岳!」と気合を入れる。

快晴♪  いざ、アタック!

快晴♪  いざ、アタック!

4年間、DVDやTVのドキュメンタリーを度々観ては、イメージトレーニングはバッチリ!
さすがこの山は、鎖やはしごがしっかりしているため、結構安心して歩けました。
岩稜をひたすら登ったり、下りたり。
カニのヨコバイの第一歩目は、足元が見えないのですが、ちゃんと足を置くところがシッカリあり、逆に地方のマイナーな山のほうが、整備がされていないので怖いかも(^_^;)

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鎖場

鎖場

山頂にて!  逆光で顔がほとんどわからない(^_^;)

山頂にて! 
逆光で顔がほとんどわからない(^_^;)

午後になるとガスや雷の心配がありましたが、まったくそんな様子もなく、山頂で小1時間ほどゆっくりと過ごしました。
そこにいた人達は、みんな登頂した感激で私たちと同じように結構ハイでしたね。
山頂をあとにするにあたり、あらためて気を引き締めて行きましょうと声をかけ合って下山を開始。
ほぼコースタイム通りに、二日目の宿泊先の剣山荘に着き、シャワーを浴びて、みんなとビールで乾杯した時の美味しかったこと♪

これまで諦めなくてよかった。
山仲間のビスターリ倶楽部の親分S氏は、これまで剱岳に登りたいという私とMさんの願いを、4年の間ずっと気遣ってくださり、ちゃんと約束を果たして下さり、本当にありがとうございました。
お世話になりました。

ヤマケイに入社前は高尾山も登ったことのない私に、山の仕事を通して、山の素晴らしさと楽しさを教えてもらったことに、本当に感謝です。
そして山を通してたくさんの素敵な人たちとの出会いにも感謝です。

さぁ~て、次はどこへ行こうかな。

岩手三陸ジオ・トレッキング その3 驚愕瞳孔開閉&フリーズ第2弾!

もはやカレンダーは弥生。
早く岩手の旅の最終日をUPしないと賞味期限が切れそう(^_^;)

さて、二日目の晩は、宮古の復興再開気合充分頑張りお寿司屋さんで盛り上がり、私はカッパのお銚子とお猪口に心を残しながら、手に入れたいけど、どこに売っているのかな?と思いつつ眠りにつきました。

3日目の朝は、目を覚ますと見事に晴れ上がっていました。万歳!

岩手最終日は、本州最東端にある鯔ガ崎(とどがさき)にある灯台を目指します。
三陸のリアス式海岸に沿って、坂をどんどん上がって行くと、通常なら波間に浮かんでいるはずの、漁で使う浮きが木の枝に引っかかっています。

木の枝に引っかかっている浮き

木の枝に引っかかっている浮き

こんなに高いところまで津波が押し寄せたという標識

こんなに高いところまで津波が押し寄せたという標識

昨日も震災メモリアルパーク中の浜でも、そんな情景が広がっていましたが、こんな高い地点まで津波が押し寄せ、木に浮きが引っかかったままになっていることに改めて驚きます。

冬の時期は、樹木の葉が落ちているため、眼下に打ち寄せる波うち際を木々の合間から垣間見ることができます。
暖かい太陽の陽を浴びながら、とても気持ちよく歩いていくと、真っ青な空に真っ白な灯台のコントラストが素晴らしい光景が目に飛び込んできました。

灯台が見えてきました。

灯台が見えてきました。

灯台のすぐ下に切れ込んでいる湾は、かなりの高さです。

灯台のすぐ下に切れ込んでいる湾は、かなりの高さです。

近くへ行って見上げるとそれは高くそびえ、これぞ「灯台」という風格があります。
この鯔ガ崎灯台は、なんと「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の元になった灯台だと知り大感激!
まだ私が幼児の頃、映画好きだった両親に連れられ、母に抱かれながら観た記憶があります。
その後にリバイバルで改めて観て、いたく胸を打たれた心に残る映画です。
その主題歌となった「喜びも悲しみも幾歳月」の歌が今でも好きです。
歳バレバレ(^_^;)

その映画を撮られた方は楠田さんと言い、松竹のダンディなキャメラマンで、
私の前職である日本映画撮影監督協会の理事だった方で、大変お世話になった方です。
思いもかけず、個人的な思いがある映画と関係するその灯台に行くことができ、感動のひとときでした。

鯔ガ崎灯台

鯔ガ崎灯台

鯔ガ崎は本州の最東端にあり、180度の海が広がっています。
なんとなく「地球は丸いんだな」と実感できるような水平線が広がっており、みんなでしばらくのその雄大な海原をしばし眺めていました。
緑が広がり花が咲く時期に、また訪れたいと思う場所です。

帰路、日頃30分以上歩いたことのないHちゃんも、周りの方々に優しく声をかけてもらいながら、一生懸命黙々と足を進めています。
彼女はたいへん若く見える女性で、私より8歳くらい年下のはずですが、全然そんな年齢に見えません。
本人曰く、「私、美魔女と言われちゃうのよね」・・・?!?
でも体力年齢は私よりソートー年上です。(ーー;)

彼女に気遣ってくれる現地スタッフのKさんは、彼女に「毎日の運動としてこんな風に気をつけるといいですよ」といろいろ教えてくれました。
そんなKさんは、よく登山をするそうです。
昨日からのトレッキングから続いてガイドをしてくれ、とても軽やかな足取りで、ぐんぐん登山道を登り下りし、姿勢もよく、お肌ツヤツヤ。
私より絶対年下だなと思っていたら、・・・なんと!67歳のお誕生日を目前だというじゃありませんか。
またまたドッヒェ~!!!!!!!!!!!!
一昨日の「嫁は美人がいい」のフリーズ第2弾!
「驚愕」以外の何ものでもない事実を目の前にして、思わず全身固まり、瞳孔拡がりまくり。
改めて彼の頭の先から足の先まで見ちゃいました。

この肌の艶やを見よ! 

この肌の艶やを見よ! 

姿勢よく、スタイル良し、お肌ツヤツヤ、シミなし、毛髪フサフサ、しかも髪を染めるなどという小細工一切なし!
これで67歳だなんて信じられん。
日頃、よく歩く、階段を使う、登山をする、週に一回汗をかく運動をする、お酒が好き。
殆ど同じこと私もやってるじゃん?!?
それなのになんでこんなに差があるのかなと思ったとたん、自分の瞳孔が萎んでいくのを感じました。ガク。

気を取り直して、今度は浄土ヶ浜へ向かいました。

美しい浄土ヶ浜

美しい浄土ヶ浜

岩に波が打ち付けられる美しい景観を眺めながら、潮騒ラーメンをいただくと、磯の香りも高く美味しかった。

潮騒海鮮ラーメ

潮騒海鮮ラーメ

ラーメンをすすっている時点で、もはや時間切れ。
魚菜市場はパスして、一路盛岡駅を目指します。
お土産は辛うじて、みつけると買わずにいられない「鼻くそシリーズ」(どうやら全国の観光地によくあるらいしい)と昨日訪れた田老地区の避難所に暮らす女性達が作っている「草履の小物入れ」です。

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古着の着物生地からひと針ひと針心を込めて作られた小物入れです。

田老地区でも避難所に住む人たち用の住宅が、4月よりいよいよ建設が始まる予定だそうですが、資材と大工さん不足でなかなか進まないそうです。
それはオリンピック需要ですべてそちらに、資材と大工さんたちが取られてしまっているからとか。
なんだかなぁ~(ーー;)

3日間、お世話になった方々に感謝を述べ、また絶対岩手に来ようと心に誓い、東京へ帰る新幹線に乗り込みました。

ガイドをしてくれたSさんと旅行会社のSさん w Sさん

ガイドをしてくれたSさんと旅行会社のSさん w Sさん

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以前は横浜で小学校の先生をしていましたが、岩手の復興のために退職して、宮古市の観光課に働く素晴らしい方です。

バスのドライバーさんとバスガイドさん 二人共とてもいい人でした。

バスのドライバーさんとバスガイドさん 二人共とてもいい人でした。

岩手の皆さん本当にありがとうございました。
終わり。

岩手三陸ジオ・トレッキング その2 瞳孔と応援

 翌朝、ホテルの窓を開けたら、外は一面真っ白になっていました。
バンザーイ! やっぱり東北の冬はこうでなきゃ。

 その日はまず防災の町として知られる田老地区へ、大震災の爪痕と復興への取り組みを見学に行きました。

ニュースで有名になった「たろう観光ホテル」

ニュースで有名になった「たろう観光ホテル」

ここに道路や家や商店街が密集していたとは思えません。

ここに道路や家や商店街が密集していたとは思えません。

 そこでは若いイケメンのHさんが、ミゾレ混じりの悪天候の中、びしょ濡れになりながら、地震や津波の中、急死に一生を得て逃れたときの様子や防災の重要性を一生懸命に説明をしてくれました。
その後、辛うじて津波に流されずに残った家屋で、TVニュースやその他に未公開の津波の映像を見せてもらいましたが、迫り来る津波が襲ってくる恐ろしさに息が止まり、体がこわばるほどでした。
 改めて津波の恐ろしさを実感しながら映像を見終わり、一生懸命に説明をしてくれる熱心なHさんに感動した女性陣一同。
「独身ですか?」と聞くと彼は「ハイ!」
するとある女性が彼に訊ねました。
「お嫁さんの条件はなんですか? 田老地区にお嫁に来てくれる人とかですか?」・・・「美人です!」
ん?????
彼が即座に答えたその言葉は、そこ場に居合わせた女性全員をフリーズさせました。
今まで「なんてイケメンで真面目で真っ直ぐな好青年だろう」と女性陣は、瞳孔全開でしたが、一瞬にして瞳孔萎みまくり。(^^;
彼はあまりにも真っ直ぐな人でした。
美人のお嫁さんが来るように祈っています。

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さて、気を取り直して・・・。
あまちゃんで有名になった「三陸鉄道」も徐々に開通し、今回初乗車できました。バンザーイ!
車体はピンク色の桜が描かれ「春近し♪」

完全開通に向け頑張っている三陸鉄道

復興のシンボル三陸鉄道

ランチは「グリーンピア三陸みやこ」でとてもお洒落な松花堂弁当をいただきました。

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ここは一昨年イタリアのボランティアグループが、とてもお世話になったホテルです。
私は実際には来ていないのに、スケジュール管理をしていたせいか、初めて来たような気がしません。
あの時にお世話になった支配人のF氏に、直接会ってお礼を言えて良かった。

イタリアヨガメンバーがお世話になった旅行会社のsさんと三陸グリーンピアの支配人Fさん

イタリアヨガメンバーがお世話になった旅行会社のsさんとグリーンピア山麓都の支配人Fさん

美味しいランチの後は、いよいよ今回のメイン「三陸ジオ・トレッキング」のひとつ「みちのく潮風トレイル」を歩きます。大震災の津波の爪痕を見学しながらの約3時間ほどを歩きます。

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今回、このツアーに急遽参加してくれたHちゃんは、20年ぶりで再開した懐かしい友達です。
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彼女は、参加する直前に「まちこちゃん どーしよう。日頃30分以上歩いたことないんだけど・・・・」 
ドヒェ~!!!!!
それを聞いたときには、目の前が真っ暗になりましたが、「ま、山じゃないから」と・・・。(^_^;)
途中からは、バスガイドさんと「震災遺構」で私たちを待っていてくれました。

がれきは綺麗に撤去され、メモリアルパークになっていました。

がれきは綺麗に撤去され、メモリアルパークになっていました。

 その日は、潮吹穴を見るには絶好の波の荒れ具合で、潮吹穴からは空高く潮が吹き上がり、それはそれは見事。
みんなで魅せられたように飽きもせずずっと眺めていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA潮吹穴から見事に上がる潮

 三陸の自然が織り成す造形美に感動しながら、宮古の宿に戻り、その夜はフリータイムです。
 津波で失ったお店をようやく昨年秋に再開したというお寿司屋さんに、応援をしに行こうと訪れました。
こじんまりとした佇まいですが、お持ち帰りコーナーもあり、おしゃれな感じで、店内は土曜のせいか、若い人が入れ替わり立ち代り、活気にあふれています。

お通し わかめとヒラメとたらの子・・・だったかな?

お通し わかめとヒラメとたらの子・・・だったかな?

地酒を頼んだら、かっぱのお銚子とお猪口。可愛い!!!

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三陸の地元の採れたものをメインにしてるお店の2代目は、なかなかの青年で家族で頑張っています。
ますます応援したくなりました。
宮古市の「若尾 二代目」です。

「若尾二代目」の二代目とすっかり意気投合したMさん

「若尾二代目」の二代目とすっかり意気投合したMさん

次回は三日目に続きます。お楽しみに。
To be continued!

岩手三陸ジオ・トレッキング その1

 1月の末に突然お誘いを受けて、プライベートで岩手の三陸ジオ・トレッキングを歩いてきました。
 岩手はご縁のあるところで、一昨年、「ボランティア・トレッキング」で岩手の北山崎という素晴らしい景勝地を歩き、被災地の現状を視察、さらに日本中の人をテレビの前に釘付けにしたNHKの朝ドラ「あまちゃん」の舞台になった久慈にも行きました。
その後の朝ドラの人気は言うまでもありません。

 その3ヶ月後に、イタリアのヨガメンバーが、東日本大震災で被災された方々に「瞑想指圧」でボランティアをしたいと来日しました。
私は彼らの2週間のスケジュールを日本側スタッフの一員として、作成管理したのですが、「ボランティア・トレッキング」でお世話になった岩手の旅行会社のS氏にまた大変、大変お世話になりました。
今回、そのSさんも岩手側のスタッフとして一緒です。

 家を出るとき東京はみぞれが降り始めていました。
東北新幹線で約2時間半。あっという間に盛岡到着。
盛岡からの移動は、なんとバスガイドさん付きのバスでした。
わお~! バスガイドさん付きなんて、何十年ぶりに乗ったであろうか。(^_^;)
やはり違いますねェ。
バスガイドさんの説明は分かりやすく聞きやすく、声がまた良い。
歌も上手い。
心地よいその声でついついリラックスして・・・ZZZ
寝ちゃった。

 盛岡から北上山地を超え、海へ向かってバスは進み、途中、龍泉洞を訪れました。
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 ここを訪れるのは今回で2度目ですが、ここの大きな鍾乳洞は、まだまだ奥深く、未調査のところがあるのだそうです。
どこまでも深い透明度の地中湖の美しさに感動します。
私、綺麗な水を見るとツイ飛び込みたくなるのよね。
アブナイ、アブナイ(^_^;)

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 岩泉町のジオサイトに移動。
東京でみぞれを降らせた雲が岩泉に届き、ここにもみぞれが降り始めました。
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 恐竜の化石が発見された茂師で、太古の大昔にこのへんで恐竜が歩いていたのかなぁと思いを馳せ、海辺に降りて貝の化石などを見に行きました。
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 宮古市の老舗ホテル「沢田屋」に着いて、冷え切ったカラダを温め、ほっと一息。
夕食で感激したのは、新わかめのしゃぶしゃぶ♪
美味しかったぁ。
お腹が減っていたので写真撮るの忘れました。(^_^;)

次回は二日目に続きます。お楽しみに。
To be continued!