2019年インド瞑想キャンプ その6 無所有・無執着 2500年前と同じ生活

前回から少し間が開きましたが、今回は僧や尼僧さんたちの持ち物のお話。

日本の仏教では、僧侶は冠婚葬祭時や儀式では金糸銀糸の豪華な僧衣を纏いますが、ジャイナ教の僧侶は白い布を体に巻き付けているだけです。

自分の前世は日本人ではないかというムニ シュラマンジーが教えてくれたことによると、その白い僧衣は男女ともに、洗濯の洗い替えとして2セット持っており、それを交互に着て、予備として1セット、計3セット持っているだけだそうです。夏も冬も同じごく薄い白い布のみで、寒くないのかなぁと心配になります。

ムニ シュラマンジーが肩にかかっていた僧衣を外し、私たちに見せてくれました。何回も洗濯をし、水を通っているので、それはそれは羽衣のように薄くて柔らかいものでした。洗濯はすべてムニといえど自分で洗濯するとか。

アイロンはなく手アイロン(手で伸ばします)

当然薄い生地のため破れたりしますが、何度も何度も繕って、最後の最後まで大事に着るのだそうです。ものを大事にするということはまさにこういうことですよね。

この細かな美しい繕い仕事を見よ!  薄い僧衣を繕った縫い目は素晴らしい手仕事で、とても真似できない繊細さです。
女性陣は僧衣の繕いあとを見てびっくり!

さらにマスクは、薄紫色で一見樹脂がかかっているように見えるのですが、ナント綿の布に米粉を糊付けしているとか。そのマスクを取って見せてくれました。

ムニのノーマスクの素顔を見るのは、結構珍しいことです。

マスクをしているときと、外した時は、やはり印象がちょっと違うものですよね。

マスク着用中のムニ シュラマンジー
マスクを外したところ・・・ね! ちょっと違うでしょ?  なんかかわいい♪

アチャリア マハー シュラーマンがマスクを外すときは、水を飲むとき。マスクを取った素顔を私は何度か目撃しました、むふふ

ショップでも売っているので誰でも買えます。私もだいぶ前に購入済み。でもコロナウイルス予防には向かないですね。鼻は隠れない!


上はマスクのパッケージ 一番下の白い綿布を当てて、薄紫色のマスクと重ねる。 紐は1本しかなく、着けるのにちょっと頭を使います

僧衣だけでなく、ハンカチも布はすべてサドヴィ(尼僧)やサマニー(準尼僧)、ムムクシャ(学生)さんたちが糸を紡いで布を織り、すべて手縫い。

布だけでなく、水を飲む壺やお椀、托鉢に行くときに持っていくお弁当の器もすべて手作りで、若いサドヴィが絵付けをしていました。

水壺に絵付けをしている若いサドヴィ

そしてジャイナ教では必須の箒。(Rajoharanという名だそうです)

自分が歩いたり、座ったりするときに、虫を踏みつぶさないように、この箒で掃いてから座ります。これも手作りで、糸10本を撚り合わせたものを何本も合わせて、箒の先の部分を木の棒に巻き付けてあります。

箒は糸を撚り合わせ、こんな形にして木の棒に巻き付けます。

ジャイナ教のムニやサドヴィは、2500年前と同じように戒律を厳格に守り続け、当時のままの生活をしています。

サマニーやサマンはPCやスマホを扱いますが、ムニやサドヴィは現代機器には一切触れず、お金も持ちません。

移動するのは徒歩のみ。電車や車、乗り物には乗りません。

10年位前までは裸足で移動していましたが、長距離に限って最近はサンダルを履くようです。

食事をするときもナイフやフォークは使わず、刃物も扱わず、髪の毛は手で抜きます。何年か前、建物の廊下でムニ二人がお互いの髪を抜き合っているのを見たことがあります。

21世紀のこの時代に驚きです。

僧衣を3セットしか持ってないというのは、私など着ない服が山のようにあり、恥じ入るばかり。無執着、無所有の真反対が私かなと反省です。

ところで僧たちは、下着は着けていないと昔、誰かから聞いたような気がするけど、さすがそれを聞くのは憚られました。あはは

前回から間が開きましたが、また2019年キャンプのお話は続きます。

It continues♪

2019年インド瞑想キャンプ その5 自戒 

しばらくブログが前回の第4弾から日が過ぎてしまいましたが、再スタートです。よろしくお願いいたします。

三大戒律

1、アヒムサー 非暴力、不殺生

2、アッパリグラハ 無所有、無執着

3、アネカンタ 非独善主義

これは ジャイナ教の 三大戒律で、アヒムサー はインド独立の 象徴であるマハトマ・ガンディー の「非暴力」で良く知られていますよね。

五つの自戒

さらにジャイナ教では「五つの自戒」があります。

禁戒、勧戒のことをウップサムパダ(Upsampada)といいます。

パタンジャリのヨガの八段階には、ヤマ(禁戒)、ニヤマ( 勧戒 )がありますが、プレクシャ・ディヤーナにおける日常生活における心や気構えの教えです。

1、バーバクリア 心と身体の調和(気づきの心、今に生きる)

2、プラティクリア ヴィラティ 反応しないこと   

3、マイトゥリ 普遍的な友好                  

4、ミット アハー 食の自制              

5、ミット バーシャン 発言の自制

何を隠そう、私は自戒を含め、毎朝亡き父や母の遺影にお茶や線香をあげる際に、この言葉を唱えています。

毎日唱えているものの、私は弱い人間のため、なかなかこれが実行できないんですねぇ。まずすぐに反応しちゃう! 

他から受けた言動に対して、泰然自若として反動的態度を抑え、心の平静を保つことの難しさ!

キャンプでのクラス風景

自分の前世は日本人ではないかというムニ・シュラマンジーは、2015年のキャンプの時もこのウップサムパダについてお話しされていましたが、今回もこのお話をされました。

人生のカルマ(業)を除くためには、瞑想をし生きることを学ぶことであると。

1、バーバクリア 

過去にとらわれ、未来に恐怖を感じていては今を生きることはできない。仕事や食事をすることも、スマホを見ながら食べるのではなく、そのことに専念して邪念を抱かない。

2、プラティクリア ヴィラティ 

すべての出来事を好き嫌いの感情を抱かず、そのまま受け取る。カッと反応して言葉や表情に出さない。

3、マイトゥリ 

すべての生き物と仲良くする。何かあっても、あなたを許します。私も許してくださいという気持ちが大事である。

4、ミット アハー 

腹八分目で何をどのように食べるか。食べ過ぎないことが重要。人に必要なのは50%の食物、20%の水分、30%の空気なのだそうです。

5、ミット バーシャン 

舌は食べることと話をする一つで二つの働きをしている。話をするときは考えて話をし、必要なことだけを言い、良い言葉を選んで、余計なことは口にしない。

前世日本人かも?というムニ シュラマンジー

キャンプの講義では、身近なことを取り上げて、実にわかりやすくお話をしてくれます。

そこで私はムニに質問しました。私は毎日ウップサムパダを唱えていても、なかなか実行できないが、どうしたらいいだろうか?と。

するとムニは「それらを守れなかったら、自分に対して罰を与えると良いですよ。例えばその日はスマホを触らないとか・・・。」と話された。

その時私は何も考えずにすぐに口にした言葉は「じゃあ、禁酒すればいいのかしら?」

私がお酒好きだと知る仲間は、みんなにアハハと笑われ、ムニも苦笑いしていたが、ジャイナ教では、飲酒と菜食主義は絶対でありアルコールの話などするのはNG! 

なので坂本先生に「ムニの前で飲酒の話をするのはケシカラン!」と怒られちゃいました。余計なことをすぐに口にする私。これがミットバーシャン! 😣あちゃー

反省

愚痴と反応

さらに別なある日のこと。サマニー サンマッティの講義で

「気分を悪くして激高した時、心はどこにありますか? 心は心臓にあるのですか?」と問われたので、私は「心は心臓ではなく、脳だと思います」と答えると、「そう心臓は単なる内臓で、前頭葉の刺激で感情が湧き出ます。」

「愚痴をこぼすときのネガティブなことをどうとらえるか! 傷ついたときは、ゆっくりと静かに考える。エゴが強いと傷つく度合いが深くなる。自分への信頼がきちんとあると、相手に何か問題があることを理解できる」と話されました。

サマニー サンマッティと通訳のチーちゃん

「女の愚痴は耳で聞いても頭に残すな。

男はコンクリートの壁、女はガラスの壁。

愚痴を言う前に、あなたの言うことは真実か? 

それを口にすることであなたや私、そして誰かの役に立ちますか? 

女性はガラスのようなエゴのために、他の人の話をしたがる。

他人の話をする前に、大きな目標をもってそれを忘れずに、価値あることに時間を費やしなさい。

ジョーティケンドラに白い色を思い描き、自分のできることや強みを知り、それを生かすべく分析し、目標を持てるようにする。」

というお話をされたとき、インド初めてキャンプも初めてという、いつも静かで心優しいS君が、サマニーに相談をした。

「職場はほとんど女性ばかりなのですが、ある女性が夜中に電話をかけてきて、同じ職場の人間関係の話を朝方まで延々と話すのでとても困っています。

僕は、そういう相手にはっきり断れないから、どうしたらいいでしょうか?」

みんなして「ええええ~っ!!! それは困ったねぇ。でもその人はH君に好意を持っているんじゃないの? 電話に出なければいいんじゃないの?」とあれやこれや助言していたら。

ムニにならないかと勧誘され、如何にも見た感じもムニに見える日頃物静かな武ちゃんが、膝立ちになって怒声を上げた。

「バカヤロー! 今一体何時だと思っているんだ。いい加減にしろ!と言って、ガチャンと電話を切ればいいんだ!」と顔を真っ赤にし、額の青筋を私はしっかり見逃さなかった。

見かけはほぼムニ! 武ちゃん

日頃の武ちゃんからは想像できない姿である。

みんな呆気にとられて口をぽかんとあけていた何秒後かに、サマニー サンマッティは静かにこう言った。

「それは・・・イケマセン」

その一言で大爆笑。

まさに反応 プラティクリア ヴィラティでした。

日本人クラスは本当に笑い声が絶えない楽しいクラスです。

まだまだ続きます。Be continues♪

2019年インド瞑想キャンプ その4 再会、再会また再会

テーラパンタ派

その前にジャイナ教もいろいろな派があるとお話ししましたが、ちょっと説明しますね。

私たちがプレクシャ・メディテーションを学んでいるテーラパンタ派は(以下、日本プレクシャ・ディヤーナ協会からのHPより抜粋)スターナックヴァーシン(白衣派の中から17世紀に偶像崇拝を否定し寺院を持たない)から分派して1761年にアチャリヤ・ビークシュによって始められました。

現在のアチャリヤ・マハーシュラマン師は11代目のアチャリア(ダライラマのような宗派の最高指導者)です。テーラパンタ派は古代のジャイナ教への復帰を目指す復古主義グループであり、教団と在家信者の関係及び宗教的形態や活動が古代ジャイナ教の姿を今にとどめています。

今もムニやサドヴィは、2500年前の厳格な戒律のままに生活する聖者たちです。私なんぞ足元にも及ばない方々です。

サマニー

まずは初日で旅の疲れもあることから、この日の朝のスケジュールはカットで、8:00から朝食。丸二日かけてたどり着いた身にはありがたい。

瞑想キャンプ体験者は慣れたものですが、初めて参加する人たちは、これからどういう展開になるのか期待感でいっぱいです。

9:00からスタートするクラスには、誰が担当してくれるのかは、私たちにはわかりません。日本人に充てられた教室に向かっていると・・・なんと、親しいサマニー(準尼僧)お二人がそこにいらっしゃいました!

思わず私は怪我の足も忘れて「きゃあ~っ!!!!! お懐かしや♪」と思わずサマニ―二人に抱きついてしまいました。

「再会」です。まさにその言葉がぴったり♪ 松尾和子 (今はもう誰も知らないだろうけど )という女性歌手が歌った「再会」とはかなり意味合いが違うけどね。

サマニー 左がジャヤン師、真ん中がサンマッティ師

お二人のサマニーたちとは、2017年3月14日~21日の間、サポート人であるアメリカ在住女性在家信者のIla(イラ)さんとサマニー サンマッティ・プラッギャ師とサマニー ジャヤン・プラッギャ師3人が来日し、大阪、名古屋、東京各地でWSを開催したのですが、その時オーガナイザーとして頑張りました! 

坂本先生たちや他のスタッフとタッグを組んで頑張っちゃったなぁ。(その時のことはまた別な機会にお話ししますね。)

イラ

サマニーたちと再会した翌日、廊下を歩いていると向こうから赤いワンピースの決して細くはない女性が、まっすぐに前を見ながらこちらに歩いてきます。在家信者さんかなと思いながら、至近距離1mに迫ったとき。

「んぎゃぁ~! イラだ!」と廊下中に響き渡る声を上げて、ガッチとハグし合いました。この人がサマニーたちと一緒に日本でのWSを回った人です。

アメリカ在住でかなりのキャリアウーマン。仕事ガンガンやるガッツのある女性です。もちろん独身! 「もちろん」て、何を根拠に「もちろん」なのかはよくわかんないけど・・・。(^_^;)

ジャイナ教徒は食事の制限が厳しいため、その辺のもので済ますということが困難です。彼女は日本滞在中、サマニーたちの金銭的支援のみならず、外食や買ったものを食べることができないサマニーたちのために3食のご飯を作りました。

実にお料理が上手く、クッキングをするたびにそばにいて、レシピも書いたはずなのに、メモがいまだに出てこない。アチャー(;’∀’)

2017年の3月以来の再会でしたが、何だかキレイになってる♪ 顔もほっそりとして、身体の重量感はそれほど変わらなかったけど、着るものも明るく色になり、アクセサリーまで身に着けて、とても素敵に変身していた。

思わずイラに「恋でもしているの? とてもキレイになってどーしたの?」と言ったら、嬉しそうにして、「瞑想のおかげよ!」という返事。だとしたらもっと頑張って瞑想しなきゃ。ネ、女性諸君!

仲良しイラ 嬉しくて私ニッコニコ

触れちゃいけない人

普通、サマニーに安易に抱きつくなど他の人はしません。ましてやムニ(僧侶)には女性がそんなことしたら絶対ダメ、ダメ、ダメェ~! サドヴィ(尼僧)にもそんな恐れ多いことをしてはいけません! 

女性がムニに近づいていいのはせめて60㎝まで。それ以上近づこうとするとムニはひょいっと距離を取るため離れます。何故ならば・・・女性と故意でなくても肘などが偶然に触れても、触れられちゃったムニは、三日間の断食をしなくてはいけません。

物を渡すのでも、直接手渡しなんていけません。少し離れたところからポンと投げるようにしてムニの傍にものを置き、それをムニは手に取るという手順をふみます。

アチャリア(最高指導者)やムニたちにご挨拶する時、男性は跪いて頭を下げて合掌し、片手をムニの足の甲に触れることが許されています。女性はそれをジッと見てるだけ。

憧れのムニ

会いたかったジャイ・クマール師 2013年撮影  見よ! この微妙な距離感

私は大好きなムニがお二人いらっしゃいますが、今回はクンバルゴドゥにはいらしていませんでした。お二人に会いたかったのに・・・すんごく残念。

ムニ シュラマンジー

日本人グループと連絡を取り合ったり、いろいろご縁の深いムニ クマール シュラーマン師。私たちはシュラマンジー(名前の最後のジは「さん」という敬称です)と言わせてもらっていますが、このムニは現アチャリア
(最高指導者 )マハーシュラーマン師の片腕です。エライんだから。

前世は日本人? ムニ シュラマンジー

2歳で 前の前のアチャリア マハートゥルシー師に会い、3歳から母に連れられてこのジャイナ教テーラパンタ派のキャンプに参加し、18歳で入僧。

1992年と1992年に在日インド人が アチャリア マハートゥルシー 師に会いに来て、その人に日本語を習ったそうです。もちろん沖ヨガの創始者の沖正弘先生とも面識がある。クラスが始まるときにかならず「こんにちは。お元気ですか?」と日本語でご挨拶してくれます。

「自分の前世は日本人で、日本人とは心が繋がっている」とお話されていました。

講義中にクラスにいらした方が・・・。ムニのお母さまでした。感動! 

80歳になるお母さまの話によると 8人の子供のうち、6人姉妹で2人兄弟。ムニのお姉さん二人もサドヴィ(尼僧)になったそうです。それを聞いたみんなは思わず「おお~っ!」と感動の声が思わず洩れました。熱心な信者の家族です。

ムニ シュラマンジーとママ

ランジット先生

さらにもう一人。2013年以来、毎回私たちに講義と瞑想を指導してくださっている在家信者のランジット・デュガー先生。

クラスに先生が入ってきた途端、私は嬉しくて再会、再会また再会の喜びに充ち溢れました。でもハグするのは、ちょっと遠慮しました。

何故かイラと同じく、先生は前よりはほっそりしているではありませんか! インドもダイエットが流行っているのであろうか?!? 先生に「痩せられましたか?」と言うと、にっこりと嬉しそうに微笑み「ハイ! 体重を10キロ近く落としました。」どうりで前よりスリム・・・前が前だけにね。

朝だったから先生の顔が暗くて見えない!

この先生は非常にパッション溢れる人で、講義をしていると段々と熱が入り、弾丸トークになってしまいます。目は血走り、みんなに伝えようとする熱意がビンビンとまるでビーム光線が出ているかのようになり、通訳の人が追い付かないほどに、言葉がほとばしるのです。

言い方を変えれば「せっかち」とも言える。私は密かに「弾丸ランジット」と名付けた。

2015年の時も弾丸だった。インド英語はRが強く、そこへもってきて機関銃のようにしゃべるランジット先生の言葉を通訳するのは至難の業! 

毎回通訳の人は、汗をかきかき追いつくのに大変。ところが今回の先生は、トークが弾丸からピストル程度の速さになっていた。

ありゃ、大人になったのか?! いや、年齢から言えば、十分に大人すぎるほどに大人である。年齢に相応しい落ち着きを兼ね備えたというべきであろうか。

坂本先生と談笑するランジット先生 これでも痩せました!

ランジット先生はとても家族、親思いの人で、前回もお父様が講義に同席されたことがあります。今回もお姿を拝見することができ、お元気そうで本当にうれしい限りです。 インドではよく年老いた親の手を引いて歩く親孝行な人をよく見かけますが、その光景に毎回、暖かい気持ちになれ、親を大事にする姿って良いなぁと感動します。

真ん中がランジットパパ 2013年撮影

印象に残るのは2013年にランジット先生から、レーシャ・ディヤーナ(霊的色彩光の知覚の瞑想。

ヨガでいうチャクラに近い各ケンドラと色の組み合わせで、内側から肉体への外側へとエネルギーを運び、潜在意識の浄化を目指す瞑想法)の講義中に、「 悪いレーシャの色は灰色、暗い青、黒色、特に黒は一番イケマセン」と話をした途端、ズボンがずり落ち、穿いていた黒いトランクスを見せながら、先生の目の前を横切った人がいた!

この一部始終は、2013年の「インド瞑想の旅 その7 抱腹絶倒マツ〇〇劇場」http://xn--u9jvgna5mmd7a.xn--qoq021aeoj0xpk2a.com/blog/?p=596に記しましたが、今回は私たちの仲間内で一番の話題提供者である松〇〇さんは、不参加で実に残念なことである。

私は再会の喜びで嬉しくて、嬉しくて・・・。

彼らに再会したからと言うだけでなく、何故か私はキャンプに参加して、心のきれいな人たちと接し、そこに漂う清らかなオーラに包まれると、とても幸せな気分になれます。毎日ニッコニコで笑顔が自然と溢れてきます。

で、ランジット先生から「世界中で一番幸せそうな笑顔だ!」と2回も言われちゃいました。

みなさんも行ったらわかります。意識せずに自然に笑顔になれるのです。

まだまだ続きます。Be continues♪

2019年インド瞑想キャンプ その3 キャンプ地到着

お腹いっぱいになった私たちは、良い具合にバスに揺られ、お腹もこなれた頃、キャンプ地のグムバルゴドゥに到着したのは、もうすでに辺りは暗くなっていました。

敷地の中に入ると直ぐに目につく大集会場の白い門。
LEDのライトに照らされ、しかも目にも鮮やかな色がクルクルと変わる!

ん?!?何だこれ?
まるで田舎のキャバレーのようである。

最初ちょっとギョッとしたが、ま、インドの街中にあるヒンズー教の像が飾られているところは、これでもか!というくらいに、遠くから見ても直ぐにわかるくらいド派手だから、照明の色が変わるなんぞ、可愛いもので華々しくていいじゃありませんか! 彩り豊かということで・・・。

前最高指導者 アチャリア マハプラッギャジ

キャンプ地は毎年開催地が変わり、インド国内の各地を回ります。会場地が決まると、そこに非常に広い集会場、ゲスト用宿泊施設(簡易ビジネスホテル並み)、食堂、講義室、お坊さん達の宿泊棟、更にインド国内外から信者が集まるため、約1万人近く収容できるキッチン付き仮設住宅が突貫工事で建設されます。え゛っ?!? 1万人! 驚きです。単身者用と家族用となかなか住みやすそうです。おまけにマーケットもできちゃいます。食品から食堂、衣料品、アクセサリー、何から何まで揃う から便利この上ありません!

仮設住宅にそれらの人々を賄うマーケットが併設されます
香辛料と食材のお店のおじちゃんは味見に気前良かった♪
仮設住宅の前で

前回のネパールでもそうでしたが、建設途中で日に日に施設や整備が整えられ、今回も私たちが到着したときは、まだゲストハウスや食堂の準備途中でした。バスルームの配管などはダイナミックに開けられた穴に、配管の管を差し込んだ!という感じで、壁の穴が隙間だらけで管も曲がっているし、建築中なのか、それとも改築中なのか、よくわからなかった。よーく見ると床も壁も新しいというのが何となくわかる・・・かな?という感じ。

私たちに充てられた部屋がある建物は、2階以上が外人用ゲストハウスで、1階は屋内集会場になっていました。

一部屋3~4人ずつ割り当てられ、私たちの部屋は4人部屋でベットが4つ、洗面所の水はチョロチョロで顔を洗うにも時間がかかり、シャワーもあまりお湯が出ず、チョロチョロしか出ずバケツに溜めてから使うというあり様。最初の2~3日は水シャワー・・・ハックション! ここはインドとは言え、朝晩は肌寒くなり、水はさすがに涼し過ぎた。

でも部屋を変えてもらうなんてことはできません。変えたとしても多分似たようなものだし、すべて忍耐、すべてを受け入れる、その修業のために来たんだから! でもお隣の女性たちの部屋は、ベットなくマットレスのみ、でも水はジャンジャン蛇口から出て、しかも熱いくらいの湯がふんだんに出る。ありゃ? うーん、やっぱりインドだ。当たるも当たらぬも時の運。それがわかってからというものは、お隣の部屋にもらい風呂ならぬ、もらいシャワーに毎晩出かけました。

不思議なことがもう一つ。外観はどう見ても3階までしかない建物のエレベーターの計器を見ると、ナント6階までのボタンがあり、念のため6階を押してみたが、ちゃんとランプが付くではありませんか! 3階以上のエレベーターはいったいどこへ行くのであろうか…。 インド建築物の七不思議!

6階までのボタンがあるのは、また別な建物

さて、いよいよ明日11月1日から7日の夜まで、朝から晩まで講義と瞑想の実習がスタートします。

ちなみに下記は日本人用Day Schedule

4:30 起床

5:00~5:30 アラハトバンダナ(アチャリア最高指導者へ朝のご挨拶とマントラ)

5:45~6:30 Preksha Meditation

6:30~7:30 yoga

7:30~8:15 Bath(インド人は朝にシャワーを浴びる習慣あり)

8:15~9:00 Breakfast

9:00~10:00 Interaction

10:00~10:50  Preksha Meditation

11:15~12:00 Kayotsarg(瞑想の第一番目の力を抜く瞑想)

12:00~12:45 Lunch

12:45~13:30 Rest

13:30~14:20  Interaction

14:30~15:10  Preksha 

15:20~15:40 Refreshment

15:40~16:30  Kayotsarg

16:30~ 17:15  Personal Work

17:15~18:00 Dinner

18:00~18:40  Interaction

19:00~20:00 Arhat Vandana

20:00~20:30 Pratikraman Yog

21:00~4:30 Yog Nidra(就寝)

明日からは、気を引き締めて4年ぶりの学びの日々です♪   
Be continues♪

2019年インド瞑想キャンプ その2 キャンプ地まで・・・

「勝手にバゲージ運びチップ要求インド人」出現で、インドを再認識した私たちは、褌の紐(今時、そんなのを身に着ける人は、南会津金町に住むJ君くらいか?!)を締めなおし、明日のキャンプ地へ向かうため、とりあえずデリーのホテルで1泊。 飛行場近くのホテルまで渋滞、渋滞また渋滞。でも心なしか前より車のクラクションの音がかなり少なくなったような気がする。な~んかインドじゃないみたい。商店街や小さなホテルがひしめく通りは、なんとなく大久保や歌舞伎町界隈の猥雑さが漂う。私たちが宿泊するホテルはおかげさまでまともそうなホテルで一安心。到着後、20:00にすぐ夕食。

最後の晩餐に近いような気分でビールにチキン

そのホテルのレストランには、二人のミュージシャンが居て、一人が歌を担当、一人がPCで楽器担当をし、インドっぽい音楽が奏でられていた。明日からベジOnly、アルコールはご法度になるため、今夜はチキンを選んで、ビールを飲みながら、いやでも聞こえてくる歌声が耳につく。「なんでこんなに下手くそなのかな?」と感心していたら、その音源のもとは、隣のテーブルに座ってたお客様のオッサンの歌声だった! どうりで変だと思ったよ。

今夜はこの大きな広いベットに一人 大の字で寝た

お客様参加型のカラオケレストランで夕食を終え、明日はキャンプ地近くのインド第3の大都市Bangalore(バンガロール)最近インド式の呼び方になりバンガルールと言うらしい。そこへ国内線で移動のため、起床3:00、バゲージアウト3:30、ホテル出発4:00、国内線出発時刻6:10というスケジュール。きゃあ、早く寝なきゃ。

早朝、朝食用サンドイッチを各自配られて、国内線に乗り込んだら、また機内でカレーのご飯が出てきた。「あっ!」という声があちこちから聞こえ、思いもよらぬ朝食ダブルパンチ! 強者はホテルのサンドイッチと機内食両方の朝食を食べる人あり。うーん・・・ブロイラー気分。

バンガロールって、南のここ!

デリーから飛行機で3時間弱、「インドのシリコンバレー」バンガロール到着。カルナータカ州南西部のマイソール高原の上に位置し「IT都市」「世界で最もダイナミックな都市(2017年)」「インドの軽井沢」とも言われているそうです。

近代的なバンガロール飛行場

この飛行場で、すでにインド入りしているチーちゃんとサヨちゃん2名と合流。この二人は別のヨガツアーで10月5日からリシケシ、ヒマラヤ近くのウッタラカシ、アルナチャラのヒンズー教の各アシュラムを経て、26日目に私たちのグループと一緒に、今度はジャイナ教の瞑想キャンプに参加するというわけ。

インドでは何でもありだから、昨日までヒンズー教、今日からジャイナ教。それは全然問題ない!OK! シヴァ神やマハヴィーラ(ジャイナ教では神様は居ませんが・・・)は、宗教が違うじゃないか!などと肝っ玉の小さいことには拘らないのである。ましてやジャイナ教の教義に「アネカンタ=非独善主義」というものがあるじゃありませんか! 彼女らは着の身着のままでインド入りしたせいか、山から下りて都会に出てきたら、バンガロールの都会的な華やかさに刺激され、お洒落心に火がついて、ブティックを走り回り、服を買いまくり。幾つになってもやっぱり女性ですなぁ。(あ!「幾つになっても」というのは余計か。失礼 m(__)m) 目にも鮮やかなインドらしいいでたちで二人は現れ、一層「インド来た感」満載で、その場を盛り上げてくれました。

とにかくバンガロールは飛行場から何から何まで近代的で広い! バスでどこまで走っても街並みが途絶えることなく、どこもかしこも高層ビルや道路、街の整備が進んでおり建設ラッシュでにぎわい、大変活気のある街で学校が多いのも目につきます。
しかも標高900メートル台ということもあり一年を通して気温差がなく、20℃台でかなり過ごしやすい。そして圧倒的に緑が多い! Greencityの名にふさわしく、前回のダージリングやシッキム地方を除いて、これまでラジャスタン地方が多く砂漠地帯に比べ、気候は過ごしやすく、ヤシの木の林、トウモロコシ、サトウキビ畑が永遠と続いています。どことなく湿度も感じられ、ラジャスタン地方よりお肌には良いかも。

白い大理石のジャイナ教寺院

飛行場からバスに乗って、途中ジャイナ教寺院に立ち寄りました。ジャイナ教はディガンバラ派(裸形派)とシュヴェターンバラ派(白衣派)があり、さらに偶像崇拝派と反偶像崇拝派に分かれます。

ジャイナ教の寺院は美しく白い大理石で作られており、信者からの寄進や高額な寄付があるため立派な寺院が多いです。

この寺院は白衣派で偶像崇拝派



ジャイナ教の寺院では、そこを訪れた人のために食事を提供してくれます。貧しくてまともに食事ができない人々や信者さんたちのためですが、私たちもお相伴に預かりました。

ここでジャガイモが出てきたのに少し驚きました。ジャイナ教では通常、根菜類は食べません。土の中の微生物などを殺してしまう可能性があるので、土の中で育つジャガイモや玉ねぎなどは食べないのですが、宗派によってはその辺の区分けは違うのかもしれません。

ランチもご馳走になり、お腹もいっぱいになり、バスに揺られてお昼寝しながら、 バンガロールから30km離れたキャンプ地であるクムバルゴドゥへ。

お昼寝から目が覚めたらいよいよ到着です。

Be continues♪

2019年インド瞑想キャンプ その1 まさかの骨折

2007年からジャイナ教の瞑想法プレクシャ・ディヤーナの国際瞑想キャンプに参加している私は、今回6度目の訪印です。

前回は2015年にネパールのビラトナガールで開催され、その後インド北東のダージリングからエベレスト、K2に次ぐ高さ第3位のカンチェンジュンガ ( 8,586 m) を仰ぎ(本当に感動に打ち震えた山でした)それからシッキム地方を訪れました。それから4年ぶりの国際キャンプ。1年以上も前から待ちに待ったようやくのインド行き。

久しぶりにムニ(僧侶)やサドヴィ(尼僧)、サマニー(準尼僧)たちに会いたくてワクワクしていた私は、ナント出発2週間前の雨の夜に自転車でコケた!
この40年間、山で足を捻っても 捻挫さえしなかった私ですが、右足小指中外骨を人生で初めて骨折してしまった私は大いに狼狽えました。
まさか!  人生で初めて の骨折! ど、ど、どーしよう・・・これではインドへ行けないかな?

生まれて初めての骨折とギブス

だが・・・しかし・・・骨折程度で怯む私ではありません。私のキャンプに行きたいという決意は石よりも硬く、行かないという選択肢は「ナシ!」 これで「インド行く!」と言うと周囲からは「え゛っ????? その足で本当に行くの!!!」と呆れられる羽目に・・・。整形外科の先生や友人たちから、内心「よく行くよね」と言わんばかりの 不安そうな面持ちで 「くれぐれもお気をつけて」と言っていただきました。今回のツアー参加者の皆さんには迷惑かけるだろうなと少々気が引けつつも、行きたい気持ちは変わらず。

出発当日、足を引きずりながら成田へ。今回のメンバーは、キャンプ初参加7名、インド初訪問5名、瞑想・ヨガ無経験1名(経験なくったって全く問題なし!)。直前のキャンセルもあり総勢13名。目が行き届くちょうどいい人数です。集合場所に行きつくと、みんなの目が一点に集中する。「どーしたの! まちこさん」「いやぁ~、雨の日に自転車でこけちゃってさぁ・・・」と冷汗(;’∀’)かきながら言い訳し「お世話をおかけすると思いますが何卒よろしくお願いします。」と坂本先生はじめ参加者の皆さんにご挨拶。

初車椅子は結構恥ずかしい

さて、エアーインディアに搭乗し、予定より早く離陸する予定が、結果的には定時より30分遅れ(なんてったって相手はインドだもんね。定時に出発する方が青天の霹靂というものです。何があろうと不思議はない!)の12:00にインドへ飛びだちました。出された食事はもちろん「カレー!」 これから13日間朝昼晩とカレー天国のスタートです。毎回、旅程が2週間の6度目のインド。どんとこい!  胃薬なんかもちろん持参していません。これまで一度もお腹壊したことなし。これが自慢。

9時間半かかって(いつもより時間かかったなぁ)、予定より40分遅れで現地時間18:40に着陸。 インドとの時差は3時間半。飛行機の中で眠ってしまったら、夜眠れなくなるからと、頑張って映画4本観た。エアーインディアでまともに画像が表示され映画を見たのは、6回×往復で12回のうち2度目かも。でも4本は疲れたネ。

さぁ、4年ぶりのデリー・インディラ ガンジー空港は、ますます巨大化して第3ターミナルまでできているではありませんか! 広い、広い。おまけに成田や羽田のように、近代化してきれいになってちっともインドっぽくないのが実に寂しい。12年前はうす暗くて、もやっとしてて、スパイスだか何だかの妙なにおいがして如何にも異国へ来たぁ~!という感じだったのに。           到着ゲートを出たら、待っていてくれたのは、よく見知ったインド人ガイドさん。「ネギさぁ~ん!」と嬉しくなって飛びついてハグしたら・・・「私はクマールです。」あはは 思いっ切り名前間違えたよ。

名前を間違えたクマールさん ごめんね

搭乗出口を出てから、各自バゲージを引きながらバスに移動していると、インド初めてではあるが、海外旅行経験山盛りで英語も堪能な福ちゃんの様子が何だか変?!  何となく浮足立ってキョロキョロしながらあたふたしてると思ったら「ねぇねぇ、まちこさん この人誰?」と聞いてくる。「ん?!」と思ってそのインド人男性の手元を見ると福ちゃんのトランクを引いている。「旅行会社の人かな? ガイドのクマールさんに聞いてごらん?」と答えてしばらくしたら、「そうかぁ、これがインドかぁ。見事にやられたぁ~っ!」と福ちゃんは叫んだのであった! 「どしたの?」と聞いてみたら、彼のバゲージをいとも自然にそのインド人の男性が持つので、「何?」って思ったらしい。その男性はこざっぱりとした白い襟付きシャツを着ており、いかにもそれらしい格好で「ダイジョーブ、ダイジョーブ。ワタシ荷物モチマス。日本人アテンドOK。」と片言の日本語で言ったらしい。福ちゃんも変だなと思いつつチップを千円も要求され、つい渡してしまったようである。「あ゛~っ! 洗礼を受けちゃいましたね。」 やっぱり旅行会社の人でもなんでもない人だった。 それにしても福ちゃんは見るからに怪しげな風貌で、髪は肩甲骨の下まであり、あごひげまで伸ばしている。普通だったらこんな怪しげな人には近づかないだろうと思われるのに、福ちゃんは 人柄が顔に出ており、 愛娘をとても甲斐甲斐しく育てる素晴らしいイクメンであるがゆえに、チップを要求しても怒らないだろうなと判断した「勝手にバゲージ運びチップ要求インド人」は、いとも簡単に彼の人の好さを見破ったのか! それはそれで凄いね。それからというものは、みんなも自分のバゲージ確認は自分でと、慎重に旅を続けることができました。福ちゃん、真っ先に人身御供になってくれてありがとう。 

オレンジパンツが福ちゃん 隣の人は知らない人

さて、これから12日間何があるかはお楽しみに。 Be continues♪

写真提供:坂本先生、福ちゃん、まちこ

ディープな旅 ネパール・インドその10-カリンポンの2

チベット仏教の若い少年僧の眼差しの先に、またまた心動かされた私は、もはや母の気分マックス!

ドゥルピン僧院を拝観したあと、バター茶をご馳走になってから、次は意外なところへ行きました。

旧シッキム王国の交易路上の宿場町として栄えたカリンポンは、後に英領インドの西ベンガル州になり、19世紀後半にイエズス会士たちが中心になって仏教に対抗し、巧みに布教活動を行ったそうです。
なので、チベット仏教寺院のあとはキリスト教会です。
ホップ、ステップ、ジャンプ!って感じ。

教会の外観

教会の外観

建物はネパール・ヒンドゥー様式で、これまでの寺院建築物とそれほど違和感がありません。
が・・・上を見ると屋根や塔にある十字架を発見!
それで教会とようやくわかります。

これを見ると教会と言うのが歴然

これを見ると教会と言うのが歴然

ただ、キリスト教会に向かうという心の準備がないまま
建物に近づきながら歩いていくと・・・突然マリア像に遭遇。
「おお~っ!」と吃驚します。

マリア像

マリア像

教会の内部の祭壇

教会の内部の祭壇

キリストの生涯の絵

キリストの生涯の絵

キリストの絵にしても、これまでの教会の概念を覆すほどの内装や絵で、
地元の人々に受け入れられやすいように、
このように姿を変えて伝えられたのでしょう。

マリア様が蓮の花の上にいます

マリア様が蓮の花の上にいます

壁画はチベット風(イエス様がチベット仏教ゲルク派の黄帽をかぶって袈裟を着ていたり、マリア様が蓮の上で説法をしていたり…)の非常にユニークなカトリック教会です。
それにしてもディープだなぁ~。

仏教とキリスト教に触れ、経験な気持ちになった私たちは、カリンポンの名産の花を栽培しているところへ寄りました。

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お花に癒され、最後の夜もまた素敵な高級ホテルへ。
毎日ホテルでは、「ここは本当にインドかな?」と思います。

ロビー

ロビー

ホテルのダイニング

ホテルのダイニング

バスルームはバスタブもあり、シャワーからお湯も出る。
それだけでインドのホテルでは凄い。
But、だが、しかし・・・そこで安心してはいけない!
9日ぶりでバスタブにつかり「あ゛~っ!」とオヤジのようなため息を
つきながら、入浴好きの日本人であることを実感。
さて、最後にシャワーを浴びて・・・と栓を捻ったら。
お湯とは言えない限りなく水に近い温さ。ハックション!
鼻水垂らしながら「やっぱりインドだ!」とここで妙な安心感を抱く私でありました。

さて、次回最終章は旅のあいだの雑感などを書きたいと思います。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその9-最終地カリンポンの1

まさかの高級ホテル、カーテン落下事件で、「なんでもアリ」がインドであることを再確認した私は。最終目的地のカリンポンを目指します。

また車でジェットコースター状態になりながら、丘を越え、谷を越え、素晴らしいお天気の中をGO、GO!

これまでもカトマンズやガントクでもチベット寺院を訪れましたが、
そこに必ずあるのが、このマニ車。

寺院へ行くまで延々とあるマニ車

寺院へ行くまで延々と続くマニ車

マニ車は円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文が納められているそうな。
このマニ車を右回り(時計回り)に、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされています。

だからチベット難民センターに住んでいたおじいさんも
マニ車を素通りすることなく、必ずブツブツとマントラを唱えながら
右手でマニ車を回していました。
でも左ききの人はどうするんだろう・・・?

信心深そうなおじいちゃん

信心深そうなおじいちゃん

どうブツブツ言っているのかというと、それは観音さまへの祈りの言葉で
「オーム・マニ・ペメ(パドメ)・フム / Om・Mani・Pedme・Hum」

チベット語のオーム・マニ・パドメ・フム

チベット語のオーム・マニ・パドメ・フム

観音さまというひとりの仏さまに対しての祈りに留まらず、
広く「元気に暮らせますように」
「しあわせであれますように」
「大きな災害が起こりませんように」などの願いを込められているそうです。
ちなみに「ペメ(パドメ)」というのは蓮の花のこと。

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大きなマニ車に抱きつき世界平和を祈る???

シッキム地方は、インドとは言え、そこに住む人や文化、宗教が
違い、インドにいることを忘れそうになります。

ガントクのチベット寺院

ガントクのチベット寺院

カリンポン最大のドゥルピン僧院は、カリンポンを見下ろす丘の上に作られたニンマ派の僧院です。

ドゥルピン僧院

ドゥルピン僧院

「双眼鏡」を意味する「ドゥルピン」の丘からは、晴れるとヒマラヤの山々を見渡すことができます。
「ゾン・ドグ・パリ・フォダン・ゴンパ」とも呼ばれるこの僧院は、1976年にこの地を訪れたチベット仏教最高指導者ダライ・ラマによって献堂されたものだそうです。
私はこの一見商店街の会長みたいなダライ・ラマ14世が大好きです。(笑)

ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世

そこではちょうど僧たちが本堂に集まってマントラを唱えていました。
私たちはそっと静かにその場所に上がらせてもらい、何十人もの少年から青年と思われる年代の僧達が、マントラを唱えている様子を見学させてもらいました。

全員で一斉に声を合わせる訳ではなく、結構それぞれ自由に声を張り上げながら唱えていました。
エビ茶色の僧衣を着ている彼らは同じようではありますが
じーっと見たら、それぞれの個性が浮かび上がり、
僧衣の中にフリースのシャツを重ね、スカーフをまいた自己主張のある子、
いかにも真面目そうな子ややんちゃそうな子がいたりと、
いろいろでなかなか面白かったです。

その後、本堂の上の方にある鍵のかかった部屋に案内をしてくれました。
扉を開けると極彩色の恐ろしい形相を表す忿怒尊(明王)や、男女の抱擁する姿を表す歓喜仏が美しく描かれていました。

鍵を開けて見せてくれたマンダラ絵

鍵を開けて見せてくれたマンダラ絵

私などは歓喜仏を見るとなんとなく気恥ずかしくなるのですが、
大変不謹慎ながら、歓喜仏を見ても、生涯独身を貫く僧たちは、平静な心境でいられる・・・というのは、さすが修行しているからなのでしょうね。(汗)

そんな不埒なことをチラッと思いつつ外へ出ると、ここへ案内をしてくれた少年僧が佇んでいました。
そのとき、彼の一瞬の表情を垣間見ました。

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チベット仏教の少年僧

ビラトナガールで見かけたジャイナ教の少年僧より、ほんのちょっと年上でしょうか?
とても聡明な感じの子です。
ジャイナ教の少年僧と比べ、視線のその先のものが違うような気がしました。
彼は何を見ようとし、何が見えたのでしょうか?
私はまたしても、その少年僧に心を残しながら、その寺院をあとにしました。

カリンポンはまだ続きがあります。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその8ー旧シッキム王国ガントクへ

「偉大な雪の5つの宝庫」と言われる神の山カンチェンジュンガを
街中から見えるダージリンをあとにして、お次は中村天風師がカイロで出会ったヨガの指導者カリアッパ師に連れられ、ヨガと瞑想の修行をしたと言われるガントクを目指します。

2400mのダージリンの街からガントクへの途中、展望台からはるか下に
2本の川が合流する箇所が見渡せました。
西から流れてきているのはRanjit川、もう一つは北のシッキムから流れてきているTeesta川です。
そのシッキムへ私たちはこれから向かいます。
その合流点の中洲にはキャンプサイトがあり、釣りや、ラフティングもできるそうです。
ラフティングはオーストラリアでやったことありますが、サイコー楽しかった。
インドでのラフティングって、あんまりイメージできなかったのですが、まさかサリー着てやらないよなぁ・・・?

合流点IMG_0501

2400mからその中洲まで、車でガーッと細い道を下り、
またガーッと山を登っていくのですが、
鈴鹿のサーキットかと思うようなヘヤピンや
「細い、急勾配、曲がりくねっている」三つ揃えの道で、
富士急ハイランドのようなハラハラドキドキ感マックス。

街中のホテルへの道も、一回の切り返しでは到底無理そうな道を
運転が苦手な人だったら100回くらい(そりゃオーバーか!)
切り返さなきゃいけないところも、
一発で運転するドライバーさんの車に乗っていた全員は、思わず拍手喝采!
パチパチ、キャホー、ワンダフル、アメージングと褒めまくる。
いやぁ~素晴らしい腕前です。
私はこのドライバーさんの運転する車に必ず乗り込んだのは言うまでもありません。(^_-)-☆

素晴らしい腕前のドライバーさん

素晴らしい腕前のドライバーさん

かつてネパール、チベット、ブータン、インドの4カ国に囲まれた
ヒマラヤ山脈の麓には、チベット人が築いた小さな王国シッキムが
存在していました。
1975年にインドに併合され現在は、インド・シッキム州となっており、
そこへ入るには、昔シッキム王国があった名残か、イミグレーションがありました。

シッキム州へ入る際のイミグレーション

シッキム州へ入る際のイミグレーション

ダージリンもそうですが、インドではあるけれど、
そこに住む人たちはほとんどネパールかチベット系の人が多く、
日本の昔懐かしい田舎のおじさんやおばさんという雰囲気の顔立ちの人たちが多くとても親しみやすいです。

その建物の入口にバイオリンに似たシッキム地方の民族弦楽器を引くおじさんがいました。
とても懐かしいような、記憶の奥底に響くような、素朴な音色です。

シッキム地方の民族弦楽器を引くおじさん

シッキム地方の民族弦楽器を引くおじさん

ガントクという地名は「丘の頂上」という意味の現地語から名づけられたそうです。
その街に入ってからチベット難民支援センターと併設されている学校に行きました。
そこにはチベットから避難してきた人々が居住しており
以前は、かなりたくさん住んでいたようですが、
最近は近くに住まいを持ったりで、センターに住む人は少なくなったようです。
支援センターでは、絨毯やチベットの伝統民芸品を作っている人がたくさんいました。
みんな汚れのない素敵な人たちばかりです。

絨毯を作る女性

絨毯を作る女性

絨毯を織るイケイケのおじさん 笑顔が素敵♪

絨毯を織るイケイケのおじさん 笑顔が素敵♪

清らかな美しい少女

清らかな美しい少女

そのチベット難民支援センターで、私たちは隅っこの壁に貼られた
新聞か雑誌の切り抜きのようなものを見つけました。
チベット侵略に対する抗議の焼身自殺の記事です。
正視できないほど痛ましい写真でしたが、
そういう現実があったということを、
忘れてはならないと強く思いました。

その夕方は、ガントックの街へお買いものに。
さすがに大きな街だけあって、賑やかなガントックの銀座通りにはたくさんの人がいました。
ガンジー像もあります。

どの紅茶が一番美味しいのかと、ジモティであるネパールのガイドの
スメダさんから聞き出していた紅茶を求めて三千里・・・そんなに歩いてないか(汗)
とうとう根性で見つけました。「Lopucheのピンクの箱!」
思わず嬉しくなって大人買い。
ウキウキしながら歩いていたら、ツアーに一緒に参加していた人も
それが欲しいというので、またそのお店に引き返し
(私は紅茶の店の客引きか?!)
彼女は私よりもっとすごい数の大人買い!

たくさん売れてホクホクの紅茶店のおじさん

たくさん売れて目が上向いちゃった紅茶屋さんのおじさん

ガントクのホテルも高級ホテルです。
瞑想の修行に来たはずなのに、
旅行部分はリッチなホテルばかりで良いのかなと思いつつ、
ご飯はどこも大変美味しく、心うきうき「たまには、いっか!」

翌朝、重厚なカーテンを思いっきりバーっと開けたら
カーテンレールごと・・・落ちた(汗)

落ちたカーテン

落ちたカーテン

そこはやっぱりインドです。
何が起きても不思議はナイ!

さて、次回は最終目的地のカリンポンに行きます。
乞うご期待!
To be continued!

ディープな旅 ネパールとインドその7ー文化遺産トイ・トレイン

稜線の間から、奇跡的にも近い天候に恵まれて、
親指ほどのエベレストの頭も見ることができたラッキーな私たちは、
「コッピー、コピー」と複写を連想させるコーヒーの売り子さんの声を
あとにして、ホテルへ戻りました。

朝食後は、世界遺産のトイ・トレインに乗るべくお出かけ。

1999年に世界遺産登録されたダージリン・ヒマラヤ鉄道。
建設が開始された1879年当時、インドはイギリス(大英帝国)の植民地であり、
この路線は紅茶の輸送と避暑客の便宜を図るために開始されたそうです。
61cmの狭い線路を走るとっても可愛い小型列車は、
トイ・トレインの愛称で親しまれています。

可愛いトイトレイン

可愛いトイトレイン

「乗れる世界遺産」トイ・トレインは、ダージリン~クルセオン間を走る
通常のローカル線として活躍し、
さらにダージリン~グーム間を往復する観光用の「ジョイライド」
は蒸気機関車が使われています。

ダージリン駅

ダージリン駅

私たちが乗ったジョイライドはグーム駅まで約7km、約40分かかります。
全席指定で、私は谷と道路に面した右側の席に乗ったのですが、
開けたカーブからは、カンチェンジュンガやダージリンの町並みがよく見えます。

トイトレインの駅や列車の中からもカンチェンジュンガがよく見えます。

トイトレインの駅や列車の中からもカンチェンジュンガがよく見えます。

沿線にはチベット人やシッキムの人たちが多く住んでいるため、
車窓から見えるのはチベット仏教寺院やインドっぽくない風景が広がります。

煙を吐き出しながらシュッシュ、ポッポ、シュッシュ、ポッポ、ピィ-ッ♪
ガタガタガタ・・・と汽笛や車掌の鳴らす笛の音や振動。
なんだか子供の頃に戻ったような、
懐かしいワクワク感でいっぱいになります。

カーブにさしかかると煙がまともに顔へ振りかぶってきて、
トンネルも入り口間近になったら、早く窓を締めないと大変なことに。
案の定、列車から降りて鼻をかむと・・・真っ黒(汗)

カーブに差し掛かると煙が・・・

カーブに差し掛かると煙が・・・

グーム直前では「商店街スレスレ」。
手を伸ばせば、商店の品物や軒先の洗濯物に手が届くような距離です。
線路のレールが敷いてあっても、その上に車を駐車させるは、
人は歩くは・・・そこはやっぱりインドだな。なんでもアリ。(苦笑)
ダージリンの江ノ電か、はたまた早稲田と三ノ輪間を走る
都電荒川線かといった感じです。

終点は丘の上のマリーゴールドが咲き誇る公園があるグーム駅。
その日も本当にいいお天気で、朝はすごく寒かったのですが、
日中はポカポカです。

マリゴールドがいっぱい

マリゴールドがいっぱい

ここでもカンチャンジュンガが素晴らしく見渡せる絶好の場所。
ところが一番いい場所はロープが張られ、
写真を撮るにはお金を払わないといけません。
大したお金ではないので払っても良かったのですが、
その商魂たくましいアウトドア用の小さな椅子に
座ったお兄ちゃんの顔つきが
イマイチ素直にお金を払おうという気持ちにならず、
ロープから近いところで写真を撮りました。えへ

ここからは折り返して列車に乗ることはなく、車に乗って戻ります。
午後からは、ダージリンの動物園となぜかそこに併設されている
ヒマラヤ登山学校を訪れました。

動物園とヒマラヤ登山学校

動物園とヒマラヤ登山学校

久しぶりに動物園に行きましたが、
インドではやはり「虎」・・・タイガーですよ。タイガー!!!
他を圧倒的に制し迫力満点。
美しく優美で威厳があります。
カッコ良い♪
コートにするにはあと何頭の皮が必要かな?
と、ちょっと良からぬ想像をしてしまいした。(苦笑)

虎はかっこよかった

虎はかっこよかった

私が必ず行ってみたいと思ったところは、山岳博物館と登山学校です。
敷地内にテンジンの立派な墓があります。
山岳博物館には英国の戦前からのエベレスト遠征から、
テンジンのエベレスト初登頂を中心として、
初登頂以降の遠征を含め歴史的な資料が展示されていました。
日本人としては植村直己の日本人初登頂の写真がありましたよ。
山岳登山学校はガイドの教育・訓練を行っており、一般の人も受講できるのだそうです。
ダージリンは1900年代の初めから1960年代頃までは、
ヒマラヤ登山の基地だっだようで、
これは戦前はネパールは鎖国状態にあり、
ネパールからはヒマラヤ登山はできなかったからだそうです。

中の写真は撮れませんでしたが、貴重な資料が山ほどあって
山関係の会社に勤務するものとしては大感動でした。

入口にあるレリーフは、クライミングボードになっています。

入口にあるレリーフは、クライミングボードになっています。

むふふ
会社に戻ったらちょっと自慢できるかも・・・と思いましたが、
奥ゆかしい私は???まだ、自慢していません。

ダージリンでの素晴らしい景色と観光を堪能した私たちは
翌日ガントクを訪れます。
ガントクでは何が待っているのでしょうか?

まだまだ続きますよ。
乞うご期待!
To be continued!

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