稜線の間から、奇跡的にも近い天候に恵まれて、
親指ほどのエベレストの頭も見ることができたラッキーな私たちは、
「コッピー、コピー」と複写を連想させるコーヒーの売り子さんの声を
あとにして、ホテルへ戻りました。
朝食後は、世界遺産のトイ・トレインに乗るべくお出かけ。
1999年に世界遺産登録されたダージリン・ヒマラヤ鉄道。
建設が開始された1879年当時、インドはイギリス(大英帝国)の植民地であり、
この路線は紅茶の輸送と避暑客の便宜を図るために開始されたそうです。
61cmの狭い線路を走るとっても可愛い小型列車は、
トイ・トレインの愛称で親しまれています。
「乗れる世界遺産」トイ・トレインは、ダージリン~クルセオン間を走る
通常のローカル線として活躍し、
さらにダージリン~グーム間を往復する観光用の「ジョイライド」
は蒸気機関車が使われています。
私たちが乗ったジョイライドはグーム駅まで約7km、約40分かかります。
全席指定で、私は谷と道路に面した右側の席に乗ったのですが、
開けたカーブからは、カンチェンジュンガやダージリンの町並みがよく見えます。
沿線にはチベット人やシッキムの人たちが多く住んでいるため、
車窓から見えるのはチベット仏教寺院やインドっぽくない風景が広がります。
煙を吐き出しながらシュッシュ、ポッポ、シュッシュ、ポッポ、ピィ-ッ♪
ガタガタガタ・・・と汽笛や車掌の鳴らす笛の音や振動。
なんだか子供の頃に戻ったような、
懐かしいワクワク感でいっぱいになります。
カーブにさしかかると煙がまともに顔へ振りかぶってきて、
トンネルも入り口間近になったら、早く窓を締めないと大変なことに。
案の定、列車から降りて鼻をかむと・・・真っ黒(汗)
グーム直前では「商店街スレスレ」。
手を伸ばせば、商店の品物や軒先の洗濯物に手が届くような距離です。
線路のレールが敷いてあっても、その上に車を駐車させるは、
人は歩くは・・・そこはやっぱりインドだな。なんでもアリ。(苦笑)
ダージリンの江ノ電か、はたまた早稲田と三ノ輪間を走る
都電荒川線かといった感じです。
終点は丘の上のマリーゴールドが咲き誇る公園があるグーム駅。
その日も本当にいいお天気で、朝はすごく寒かったのですが、
日中はポカポカです。
ここでもカンチャンジュンガが素晴らしく見渡せる絶好の場所。
ところが一番いい場所はロープが張られ、
写真を撮るにはお金を払わないといけません。
大したお金ではないので払っても良かったのですが、
その商魂たくましいアウトドア用の小さな椅子に
座ったお兄ちゃんの顔つきが
イマイチ素直にお金を払おうという気持ちにならず、
ロープから近いところで写真を撮りました。えへ
ここからは折り返して列車に乗ることはなく、車に乗って戻ります。
午後からは、ダージリンの動物園となぜかそこに併設されている
ヒマラヤ登山学校を訪れました。
久しぶりに動物園に行きましたが、
インドではやはり「虎」・・・タイガーですよ。タイガー!!!
他を圧倒的に制し迫力満点。
美しく優美で威厳があります。
カッコ良い♪
コートにするにはあと何頭の皮が必要かな?
と、ちょっと良からぬ想像をしてしまいした。(苦笑)
私が必ず行ってみたいと思ったところは、山岳博物館と登山学校です。
敷地内にテンジンの立派な墓があります。
山岳博物館には英国の戦前からのエベレスト遠征から、
テンジンのエベレスト初登頂を中心として、
初登頂以降の遠征を含め歴史的な資料が展示されていました。
日本人としては植村直己の日本人初登頂の写真がありましたよ。
山岳登山学校はガイドの教育・訓練を行っており、一般の人も受講できるのだそうです。
ダージリンは1900年代の初めから1960年代頃までは、
ヒマラヤ登山の基地だっだようで、
これは戦前はネパールは鎖国状態にあり、
ネパールからはヒマラヤ登山はできなかったからだそうです。
中の写真は撮れませんでしたが、貴重な資料が山ほどあって
山関係の会社に勤務するものとしては大感動でした。
むふふ
会社に戻ったらちょっと自慢できるかも・・・と思いましたが、
奥ゆかしい私は???まだ、自慢していません。
ダージリンでの素晴らしい景色と観光を堪能した私たちは
翌日ガントクを訪れます。
ガントクでは何が待っているのでしょうか?
まだまだ続きますよ。
乞うご期待!
To be continued!