2019年インド瞑想キャンプ その6 無所有・無執着 2500年前と同じ生活

前回から少し間が開きましたが、今回は僧や尼僧さんたちの持ち物のお話。

日本の仏教では、僧侶は冠婚葬祭時や儀式では金糸銀糸の豪華な僧衣を纏いますが、ジャイナ教の僧侶は白い布を体に巻き付けているだけです。

自分の前世は日本人ではないかというムニ シュラマンジーが教えてくれたことによると、その白い僧衣は男女ともに、洗濯の洗い替えとして2セット持っており、それを交互に着て、予備として1セット、計3セット持っているだけだそうです。夏も冬も同じごく薄い白い布のみで、寒くないのかなぁと心配になります。

ムニ シュラマンジーが肩にかかっていた僧衣を外し、私たちに見せてくれました。何回も洗濯をし、水を通っているので、それはそれは羽衣のように薄くて柔らかいものでした。洗濯はすべてムニといえど自分で洗濯するとか。

アイロンはなく手アイロン(手で伸ばします)

当然薄い生地のため破れたりしますが、何度も何度も繕って、最後の最後まで大事に着るのだそうです。ものを大事にするということはまさにこういうことですよね。

この細かな美しい繕い仕事を見よ!  薄い僧衣を繕った縫い目は素晴らしい手仕事で、とても真似できない繊細さです。
女性陣は僧衣の繕いあとを見てびっくり!

さらにマスクは、薄紫色で一見樹脂がかかっているように見えるのですが、ナント綿の布に米粉を糊付けしているとか。そのマスクを取って見せてくれました。

ムニのノーマスクの素顔を見るのは、結構珍しいことです。

マスクをしているときと、外した時は、やはり印象がちょっと違うものですよね。

マスク着用中のムニ シュラマンジー
マスクを外したところ・・・ね! ちょっと違うでしょ?  なんかかわいい♪

アチャリア マハー シュラーマンがマスクを外すときは、水を飲むとき。マスクを取った素顔を私は何度か目撃しました、むふふ

ショップでも売っているので誰でも買えます。私もだいぶ前に購入済み。でもコロナウイルス予防には向かないですね。鼻は隠れない!


上はマスクのパッケージ 一番下の白い綿布を当てて、薄紫色のマスクと重ねる。 紐は1本しかなく、着けるのにちょっと頭を使います

僧衣だけでなく、ハンカチも布はすべてサドヴィ(尼僧)やサマニー(準尼僧)、ムムクシャ(学生)さんたちが糸を紡いで布を織り、すべて手縫い。

布だけでなく、水を飲む壺やお椀、托鉢に行くときに持っていくお弁当の器もすべて手作りで、若いサドヴィが絵付けをしていました。

水壺に絵付けをしている若いサドヴィ

そしてジャイナ教では必須の箒。(Rajoharanという名だそうです)

自分が歩いたり、座ったりするときに、虫を踏みつぶさないように、この箒で掃いてから座ります。これも手作りで、糸10本を撚り合わせたものを何本も合わせて、箒の先の部分を木の棒に巻き付けてあります。

箒は糸を撚り合わせ、こんな形にして木の棒に巻き付けます。

ジャイナ教のムニやサドヴィは、2500年前と同じように戒律を厳格に守り続け、当時のままの生活をしています。

サマニーやサマンはPCやスマホを扱いますが、ムニやサドヴィは現代機器には一切触れず、お金も持ちません。

移動するのは徒歩のみ。電車や車、乗り物には乗りません。

10年位前までは裸足で移動していましたが、長距離に限って最近はサンダルを履くようです。

食事をするときもナイフやフォークは使わず、刃物も扱わず、髪の毛は手で抜きます。何年か前、建物の廊下でムニ二人がお互いの髪を抜き合っているのを見たことがあります。

21世紀のこの時代に驚きです。

僧衣を3セットしか持ってないというのは、私など着ない服が山のようにあり、恥じ入るばかり。無執着、無所有の真反対が私かなと反省です。

ところで僧たちは、下着は着けていないと昔、誰かから聞いたような気がするけど、さすがそれを聞くのは憚られました。あはは

前回から間が開きましたが、また2019年キャンプのお話は続きます。

It continues♪



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