もはやカレンダーは弥生。
早く岩手の旅の最終日をUPしないと賞味期限が切れそう(^_^;)
さて、二日目の晩は、宮古の復興再開気合充分頑張りお寿司屋さんで盛り上がり、私はカッパのお銚子とお猪口に心を残しながら、手に入れたいけど、どこに売っているのかな?と思いつつ眠りにつきました。
3日目の朝は、目を覚ますと見事に晴れ上がっていました。万歳!
岩手最終日は、本州最東端にある鯔ガ崎(とどがさき)にある灯台を目指します。
三陸のリアス式海岸に沿って、坂をどんどん上がって行くと、通常なら波間に浮かんでいるはずの、漁で使う浮きが木の枝に引っかかっています。
昨日も震災メモリアルパーク中の浜でも、そんな情景が広がっていましたが、こんな高い地点まで津波が押し寄せ、木に浮きが引っかかったままになっていることに改めて驚きます。
冬の時期は、樹木の葉が落ちているため、眼下に打ち寄せる波うち際を木々の合間から垣間見ることができます。
暖かい太陽の陽を浴びながら、とても気持ちよく歩いていくと、真っ青な空に真っ白な灯台のコントラストが素晴らしい光景が目に飛び込んできました。
近くへ行って見上げるとそれは高くそびえ、これぞ「灯台」という風格があります。
この鯔ガ崎灯台は、なんと「喜びも悲しみも幾歳月」という映画の元になった灯台だと知り大感激!
まだ私が幼児の頃、映画好きだった両親に連れられ、母に抱かれながら観た記憶があります。
その後にリバイバルで改めて観て、いたく胸を打たれた心に残る映画です。
その主題歌となった「喜びも悲しみも幾歳月」の歌が今でも好きです。
歳バレバレ(^_^;)
その映画を撮られた方は楠田さんと言い、松竹のダンディなキャメラマンで、
私の前職である日本映画撮影監督協会の理事だった方で、大変お世話になった方です。
思いもかけず、個人的な思いがある映画と関係するその灯台に行くことができ、感動のひとときでした。
鯔ガ崎は本州の最東端にあり、180度の海が広がっています。
なんとなく「地球は丸いんだな」と実感できるような水平線が広がっており、みんなでしばらくのその雄大な海原をしばし眺めていました。
緑が広がり花が咲く時期に、また訪れたいと思う場所です。
帰路、日頃30分以上歩いたことのないHちゃんも、周りの方々に優しく声をかけてもらいながら、一生懸命黙々と足を進めています。
彼女はたいへん若く見える女性で、私より8歳くらい年下のはずですが、全然そんな年齢に見えません。
本人曰く、「私、美魔女と言われちゃうのよね」・・・?!?
でも体力年齢は私よりソートー年上です。(ーー;)
彼女に気遣ってくれる現地スタッフのKさんは、彼女に「毎日の運動としてこんな風に気をつけるといいですよ」といろいろ教えてくれました。
そんなKさんは、よく登山をするそうです。
昨日からのトレッキングから続いてガイドをしてくれ、とても軽やかな足取りで、ぐんぐん登山道を登り下りし、姿勢もよく、お肌ツヤツヤ。
私より絶対年下だなと思っていたら、・・・なんと!67歳のお誕生日を目前だというじゃありませんか。
またまたドッヒェ~!!!!!!!!!!!!
一昨日の「嫁は美人がいい」のフリーズ第2弾!
「驚愕」以外の何ものでもない事実を目の前にして、思わず全身固まり、瞳孔拡がりまくり。
改めて彼の頭の先から足の先まで見ちゃいました。
姿勢よく、スタイル良し、お肌ツヤツヤ、シミなし、毛髪フサフサ、しかも髪を染めるなどという小細工一切なし!
これで67歳だなんて信じられん。
日頃、よく歩く、階段を使う、登山をする、週に一回汗をかく運動をする、お酒が好き。
殆ど同じこと私もやってるじゃん?!?
それなのになんでこんなに差があるのかなと思ったとたん、自分の瞳孔が萎んでいくのを感じました。ガク。
気を取り直して、今度は浄土ヶ浜へ向かいました。
岩に波が打ち付けられる美しい景観を眺めながら、潮騒ラーメンをいただくと、磯の香りも高く美味しかった。
ラーメンをすすっている時点で、もはや時間切れ。
魚菜市場はパスして、一路盛岡駅を目指します。
お土産は辛うじて、みつけると買わずにいられない「鼻くそシリーズ」(どうやら全国の観光地によくあるらいしい)と昨日訪れた田老地区の避難所に暮らす女性達が作っている「草履の小物入れ」です。
古着の着物生地からひと針ひと針心を込めて作られた小物入れです。
田老地区でも避難所に住む人たち用の住宅が、4月よりいよいよ建設が始まる予定だそうですが、資材と大工さん不足でなかなか進まないそうです。
それはオリンピック需要ですべてそちらに、資材と大工さんたちが取られてしまっているからとか。
なんだかなぁ~(ーー;)
3日間、お世話になった方々に感謝を述べ、また絶対岩手に来ようと心に誓い、東京へ帰る新幹線に乗り込みました。
以前は横浜で小学校の先生をしていましたが、岩手の復興のために退職して、宮古市の観光課に働く素晴らしい方です。
岩手の皆さん本当にありがとうございました。
終わり。