魅惑的な目をした少年僧に心を残しながら、ネパールをあとにし再びインドへ。
次の目的地、紅茶で有名なダージリンまで193km、予定時間は8時間。
キャンプ中はアルコール一切禁止だったため、インドへの移動の車に乗ったとたん、頭の中はしんみりとなった少年僧のことはすっかり忘れて「ビール、ビール、ビール」
ビラトナガールは私たちにはただの田舎町にしか見えませんでしたが、カトマンズに次ぐネパール第二の都市であり、インド国境沿いの交通の要衝なのだそうです。
11月でも夏日の暖かいというか暑いところをあとにして、インド国境へ向かって車はひた走ります。
国境近くなってきたら、ものすごい渋滞です。
私たちが訪れた昨年11月現在、インドはネパールに対して経済封鎖をしていて、インドからの物流が激減し、ネパールではガソリンなどの不足が深刻化していました。
だからネパール滞在時は日に何度も停電したんですね。
その時も山用のヘッドランプが実に役立ちました。
国境近くの道路は、ネパールへの入国を待つ物資を積んだトラックが何十台?ひょっとして100台近く止まったままで、入国許可が降りるまで何日も待っているようです。
国境近くであったデモ騒動も私たちが通過する前に治まり、無事国境を通過。
そこで通訳兼ガイドのスメダさんと名残惜しいけどお別れ。
車を乗り換え、今度は乗用車3台に分乗。
なぜバスではなく乗用車なのか?!?
それは紅茶畑を抜けて行くとすぐに理由がわかりました。
茶畑を超えるとぐんぐんと標高を稼ぐほどに山道を登っていきます。
ダージリンへはビラトナガールから標高差2000mほどを、車で登っていくのですが、とても日本では考えられないほどの急な細いくねくね道を車は行きます。
樹林帯を抜けると、山の斜面にへばりつくようにして街ができている光景が目に飛び込んできました。
道路の左右にお店や家が立ち並んでいるのですが、そのすぐ下は崖です。
尾根に沿ってずっとそれが続き、大きな街が形成されている様子は、まさにびっくりぽんです。
そんな街をいくつか通っていくうち、遠くに白く雪に覆われた高い高い山が見えてきました。
カンチェンジュガだ!
まるで空に浮かんでいるように見えます。
その山を目にした途端、えも言われぬ感動が胸を突き抜けていきました。
あまりにも神々しいその姿に、思わず我を忘れ、自然に胸の前で手を合わせたくなるほどです。
富士山とおんなじだ!
やはり山というのは、人々の心の中で神と同じ位置にあるといつも思います。
標高8,586mで世界第3位の高さを誇り、ネパール東部とインド・シッキム州の国境に聳え、カンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の5つの宝庫」という意味だそうです。
ダージリンは、世界屈指の高級茶葉ダージリン・ティーの産地として知られ、インド国内でも有数の避暑地で、ヒマラヤの名峰カンチェンジュンガの勇姿をバックに、イギリス植民地時代の名残を色濃く残す町並みと広大な茶畑が標高2100mの山腹に広がっています。
朝晩、霧が立ち込め非常に霧の多い所です。この条件こそが紅茶栽培に最も適しているようです。
この街の中からは、この雄大な神々しい山をどこからでも見えます。
ただし毎日見えるわけではなく、私たちが到着する前10日間は、全く雲の中で山の姿は見えず、私たちはかなりラッキーだったようです。
今回のツアーには、ヒーラーけんちゃんが同行していますが、ひょっとしてこれまでのラッキーな数々のことも彼のおかげかも?!?
ホテルはダージリンの街の細い細い、曲りくねった坂の上にあり、こんなところにあるの?というような場所にありました。
でもそこは思いもかけない高級ホテルでした。
建物は複雑に建てられ、どの部屋からもカンチェンジュンガを見ることができ、食事もとても美味しく、朝は白いお粥までありました。
お食事は大変美味しく、ネパールや中国の影響が強く、焼きそば風のものや中華風のものがありました。
標高が2100mなので、これまでいたビラトナガールとは気温が段違いです。
日中はまだしも、日が暮れると一気に気温が下がり、吐く息が白くなります。
このホテルで一番感動したのは、夜ベットに入った時に、なんと湯たんぽが入っていたことです。部屋には小さなヒーターもあり、この湯たんぽとともに気持ちよくぐっすりと眠ることができました。
翌朝は早く起きて日の出と、その朝日に照らされるカンチェンジュンガを観に行き、そして世界遺産のトイトレーンに乗りに行きます。
乞うご期待!
To be continued!